夢幻の楽師達 -Chapter 18-
11月最終週の今回の「夢幻の楽師達」は、今を遡る事6年前の冬…私自身の目と脳裏に未だあの時の記憶が鮮明に焼き付いているであろう、初来日公演でありながらも観客席の私達に鮮烈なイメージを残し素晴らしいライヴ・パフォーマンスを繰り広げてくれた、今やイタリアのラ・マスケーラ・ディ・チェラと共に21世紀シンフォニック・ロックの旗手に成り得たと言っても過言では無い、スウェーデンの“ムーン・サファリ”にスポットライトを当ててみたいと思います。
MOON SAFARI
(SWEDEN 2003~)


Johan Westerlund:B, Vo
Petter Sandström:Vo, G, Harmonica, Harp
Simon Åkesson:Vo, Key
Anthon Johanson:G, Vo
Tobias Lundgren:Ds, Per, Vo
2013年1月12日、私達プログレッシヴ・ロックファンはあの日を一生忘れないだろう…。
2013年の幕開けと共に北欧スウェーデンからフラワー・キングス、トレッティオアリガ・クリゲット、アネクドテンといった、まさに飛ぶ鳥をも落とす勢いの強者級大御所プログレッシヴ・ロックバンドが大挙来日し、1月11・12日の両日に亘ってプログレライヴの総本山と言っても過言では無い川崎クラブチッタでの劇的で最高なるライヴ・パフォーマンスを繰り広げた事は今もなお記憶に新しいところであろう。
その大御所達と共に混じって、21世紀の2003年に結成された新進気鋭の存在ながらも、自らの信念に基づき着実に高みを目指して歩みつつ、その秀でた音楽性と頑ななプログレ愛を身上(信条)に抜群の人気と知名度を得て、遂に漸くこの東洋の日本という地に降り立ったムーン・サファリ。
イタリアのラ・マスケーラ・ディ・チェラと同様、まさしく彼らこそ現代(いま)を伝える夢幻の楽師達そのものと言っても過言ではあるまい。
ステージの幕が上がったと共に、オープニングアクトに相応しく若々しくも初々しさを随所に漂わせながらも決して物怖じする事無く、それこそ客席側から観ている私自身すら照れ臭くなって良い意味で本当にもう嫌になってしまう位、実に軽快且つ堂々と楽しく演奏を繰り広げるライヴ・パフォーマンスに、もう兎に角お恥かしい話…我を忘れて熱狂と興奮の渦にいつしか巻き込まれていたあの時の事は今でも鮮明に記憶している。
失礼ながらも大トリのフラワー・キングスの事なんぞどうでも良くなってしまう位、トップのムーン・サファリ、そして二番手のトレッティオアリガ・クリゲットの円熟味と渋味の増した白熱の饗宴に聴衆は酔いしれ、私自身も久しく忘れかけていたロックへの感動と情熱が甦ってくる様なそんな思いに捉われたのも正直なところである。
偶然にも私の隣の席には、名古屋からやって来た旧知のプログレッシヴ関係のプロモーターを運営している夫妻だったので、久し振りの再会を喜びつつ音楽談義に花を咲かせ、各々の視点から観たムーン・サファリの印象についても、“フラキンやカイパからの影響も大きいけれど、やはり総括的にはイエスからの影響が大きいよね…”とお互いに一致したのが実に面白かった。
コーラス部分ではクイーン…或いはプログレ寄りで喩えるならGGの影響下を感じさせ、上質のポップス的なセンスでは後期ジェネシス、タイ・フォン、マニアックな範疇ならケストレルをも彷彿とさせ、21世紀プログレの片一方の主流でもあるメロディック系にはそんなに染まり切ってはいないというのが大方の見解であろう。
各方面でのプレス関係誌、並び国内盤CDのライナーでも既に何度か触れられていると思うが、簡単にバンドの結成から今日に至るまでの経緯を辿ると、地元のレコーディング・スタジオのスタッフ研修員だった、ベーシストのJohan WesterlundととヴォーカリストのPetter Sandströmを中心に、Simon Åkesson(Vo,Key)、Anthon Johanson(G,Vo)、そしてTobias Lundgren(Ds,Per,Vo)を誘って、2003年春にムーン・サファリとしてのキャリアをスタートさせている。
意外な事にムーン・サファリとして一緒にプレイする以前の各々の経歴は、殆どがプログレ系のHM/HRをメインだったそうで、メタル寄りから一転してどうしたらこんなに明るく爽やかで軽快な極上のプログレッシヴ・ポップスが生み出されるのか何とも不思議でもある…。
程無くして彼等ムーン・サファリは、長年の盟友にしてプログレ系の横の繋がりでもあったフラワー・キングスのKey奏者Tomas Bodinとのセッション・レコーディングに参加した折に、彼等の高い音楽性スキルと演奏技量に着目したTomasに見出され、周囲からの惜しみない支援と後押しを受けて、結成から2年後の2005年『A Doorway To Summer』で待望のデヴューを果たす事となる。
前述でも触れた通り、御大のイエス或いはカイパ、フラワー・キングスからの大きな影響を窺わせつつも、北欧出身ながらも(失礼ながらも)アネクドテン等で見受けられがちな深く重く畳み掛けるような陰鬱な色合いとは全く真逆な、ジャケットのイメージ通りと違わぬ…その清々しく爽快で明るい曲調の純然たるブリティッシュ系ポップスに裏打ちされた唯一無比なシンフォニック・ロックに、世界各国のプログレ・ファンから瞬く間に賞賛され、素人臭さが皆無で新人離れした驚愕の新世代期待のニューフェイス登場で俄かに沸き返ったのは最早言うまでもあるまい。
加えて言うのであれば…ラジオでオンエアされてもプログレ云々を問わず何ら違和感すら感じさせない良質極上なポップス感覚で聴けて、それこそ昔からプログレに付き纏う暗さやら重さなんぞとは無縁な、早い話が老若男女問わず季節や時と場所を選ばずに楽しめる、親近感溢れるプログレッシヴ・シンフォニックとして大々的にアピールしているという事であろうか。
ちなみにデヴュー作の初回オリジナル仕様は淡いイエローが下地であるが、アメリカ盤仕様と国内盤を含めた後発プレスでは濃厚なブルーカラーを基調とし月のマークも若干変更が加えられているが、それでも作品の内容の素晴らしさは不変で尚且つボーナストラック付きであるから、ファンであれば是非とも意匠パターンの違う両作品を押さえておきたいところだ。
デヴュー作リリース以降、スウェーデン国内外のプログ・フェス等での精力的な演奏活動で自らに磨きをかけ実力を蓄えていった彼等が、3年間もの製作期間を経て熟成させ、2008年満を持して自らの思いの丈をぶつけた超大作『Blomljud』はデヴュー作で得た自信と長年培われた音楽経験が一気に発露・昇華された彼等ならではの夢見心地な幻想絵巻が繰り広げられ、2枚組CDというヴォリューム感といった話題性も手伝ってデヴュー作に続き瞬く間にベストセラーを記録。

下世話な話で恐縮なれど…作品リリース当初は、たとえ相応の実力を兼ね備えた彼等とて2枚組の大作は、いくら何でもまだ時期尚早ではないのか?という懸念というか心配・不安を少なからず抱いていたものだが、いざ作品の蓋を開けてみたら彼等の創作する従来通りの音楽性は何ら変わる事無く、否!デヴュー作以上にポテンシャルとテンションが高揚し、レコーディング中でのギタリストの交代劇(Anthon Johansonが抜け、後任にKey奏者のSimon Åkessonの身内兄弟でもあるPontus Åkessonが加入)すらも微塵に感じさせず、ヴァイオリンやフィドルを含む数名のゲストサポートを迎え、成る程確かにこれ位の世界観とヴォリュームであれば2枚組となる事は必至であるという説得力のある充実した内容で、名実共に21世紀プログレッシヴのマストアイテムとなった事を如実に物語っている。
惜しむらくは、素人臭さ丸出しな何とも稚拙でトホホなイラストには苦笑せざるを得ないものの、それ以上に彼等の素晴らしい演奏力と目くるめくフェアリーテイル風なイマジネーションが余りある位見事に補填されている辺りにも着目せねばなるまい。
本作品での成功と実績を機に、21世紀の北欧シンフォにムーン・サファリここに在りという事が見事に確立され、彼等の動向はますます世界各国のプログレ・ファンから注視されたのも、あながち言い過ぎではあるまい。
大作の2ndリリース以降、彼等は以前にも増して精力的に演奏活動をこなしつつ、次回作の為のサウンド強化を図りSimon Åkessonの身内兄弟から新たにSebastian ÅkessonをKey奏者に迎え、ツインキーボードを擁する6人編成というまさに鉄壁のラインナップで更なる最高傑作『Lover's End』の製作に臨む事となる。

前作から約2年間の製作期間を経た2010年、デヴュー作並び超大作の2ndを遥かに上回るかの様に彼等の持ち味と音楽性が濃縮還元の如く昇華され遺憾無く発揮された『Lover's End』は、期待通りにして期待以上の完成度で文字通り世界的ベストセラー作品として賞賛され、一見能面を思わせる(苦笑)様なファッションモード誌の挿絵・扉絵風な意味深な意匠と、インナーに刷り込まれたアメリカン・ライフなフォトグラフとの相乗効果も相俟って、彼等が目指す新たなヴィジュアルな一面をも垣間見る思いですらある。
誤解の無い様に解釈すれば、ただ単純にアメリカン・ミュージックの模倣に終止する事無く北欧人が思い描くピースフルにしてハートウォーミングなアメリカを思い描いたという事であろうか…。

『Lover's End』の世界的な大成功を機に、翌2011年初夏の北米大陸ツアーに加えロスで開催されたプログフェスでの模様を収録したライヴ盤『The Gettysburg Address』、そして続く翌2012年秋にリリースされた『Lover's End』の続篇とも言える24分のミニアルバム『Lover's End Pt.Ⅲ』は、まさしく彼等の順風満帆で充実した現在(いま)を象徴しているかの様ですらあり、翌2013年1月の川崎クラブチッタで開催された北欧プログフェスにて待望の初来日公演を果たした彼等は、大勢の熱狂的なファンに迎えられ一夜の夢の如き素晴らしきライヴ・パフォーマンスを繰り広げ、観客席を感動と興奮の渦に巻き込んだのは最早言うには及ぶまい…。
個人的で蛇足ながらも、ライヴで魅せてくれた『Lover's End』中の好ナンバー“New York City Summergirl”と“Heartland”を、帰宅してから自宅でスタジオ盤で改めて何度も繰り返し聴きながら…あの時の感動と興奮を自らの頭の中で反芻しつつ、クラブチッタでのライヴ終演後“これから渋谷へカラオケに行くよ!”と茶目っ気たっぷりな言葉を残しつつ、チッタのフロアにてファンサービスのアカペラ合唱大会という素敵な思い出を残してくれた彼等の事を思い返す度に、いつの間にか無意識の内に身体が歓喜に震えて目頭が熱くなるものだから、いやはや良い意味で我ながら困ったものである(苦笑)。

初来日公演を終えた後の同年、彼等は前出のミニアルバム『Lover's End Pt.Ⅲ』を布石とした意味深なアートワークが描かれた意欲作の4枚目『Himlabacken Vol.1』をリリースし、バンドとしての自己進化(深化)も然る事ながら、自らの音世界を更なる昇華と構築へと押し上げた事を物語る秀逸なる傑作に仕上げ、翌2014年にはライヴアルバムとしては2作目に当たる『Live In Mexico』を発表し今日までに至っている次第であるが、それ以降の新作リリース発表のアナウンスメントが聞かれなくなって些か寂しくもあり久しい限りであるが、彼等自身の長い充電期間と取るか…或いは無期限の活動休止期間と取るか…ファンやリスナー・業界側といったそれぞれ千差万別捉え方や思惑の差異こそあれども、まあ彼等の事であるからそのうち忘れた頃にいきなり突然サプライズ級の新譜リリースなんて事も容易に考えられよう(それこそ『Himlabacken Vol.2』となるのだろうか…)。
いずれにせよ、夢への希求にも似た彼等の終わり無き旅路はまだまだこの先も続くに違いあるまい…温かくも長い目で末永く見守っていきたいものである。

本編の締め括りに…彼等の音楽を一聴して歌物プログレ・ポップス調で爽やか過ぎて、アネクドテンやアングラガルドみたいなダークとヘヴィに欠けるから好きになれないという一部の臍曲がり的な輩も確かにいるかもしれない。
…が、彼等ムーン・サファリに対し、ダークで陰鬱な音世界を期待する者が果たしてこの世界中にどれだけ存在するのだろうか?それこそ明らかに愚問でもあり陳腐ですらある。
彼らの創作する世界に小難しい評論や理屈なんぞは無用の長物にしか過ぎないのである。
彼等を愛して止まない多くのファン…そして彼等自身の為に“夢”を紡ぐその真摯な姿にこそ、心打たれ胸を熱くする位の感動を覚えるのである。
えっ!何だって…ライヴのステージでキーボード群に囲まれた壁が無い?ギタリストが前面に出てこない?そんな事はどうだって良いさ。
大丈夫…回数を重ねて何度も聴き込めばすぐに慣れる事だし、きっと彼等の事が好きになれるさ。
心から有難うの言葉と共に、あの日の時と同じく…またいつの日にか再来日公演でお会いしましょう!
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