幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 KULTIVATOR

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 2019年もいよいよ終盤に差し掛かり今年も残すところあと一ヶ月とほんの僅かとなりました…。
 11月最後の今回の「一生逸品」は北欧プログレッシヴ界きっての最強なる孤高の個性派集団にして、80年代というプログレッシヴ冬の時代に拮抗し…北欧らしいトラディッショナル、チェンバー、アヴァンギャルド、リリシズムといったキーワードとスキルを内包した自らの音楽を武器に闘いを挑んでいった、唯一無比のカリスマと言っても過言では無い“カルティヴェイター”に今再び焦点を当ててみたいと思います。

KULTIVATOR/Barndomens Stigar(1981)
  1.Höga hästar/2.Vemod/3.Småfolket/ 
  4.Kära Jord/5.Barndomens Stigar/ 
  6.Grottekvarnen/7.Vårföl/8.Novarest
  
  Stefan Carlsson:B, Bass-Pedals
  Johan Hedrén:Key
  Jonas Linge:G, Vo
  Ingemo Rylander:Vo, Recorders, Rhodes
  Johan Svärd:Ds, Per  

 たまに思い出したかの如くレコード棚やCDラックから引っ張り出して聴きたくなる様な作品が年に何度か巡ってくる事がある…。
 今回取り挙げる本編の主人公カルティヴェイターもその内の一枚であり、大昔の若い時分に買ったアナログLP原盤にしろリイシューCDを問わず、たった一度でも耳にして以降癖になるというか病みつきになるとでも言ったら良いのか…あの一種独特の個性的な曲調やフレーズやらがずうっと脳裏に焼き付いて離れないのが、まあ良い意味で困りものといえば困りものなのかもしれない(苦笑)。
 まあ、ただ単純に晩秋の肌寒い時節柄には、やはり寒い北欧産のプログレッシヴが聴きたくなるという動機も無きにしも非ずではあるが…。

 カイパ始めダイス、アトラス、ブラキュラといった、70年代の名立たるスウェディッシュ・シンフォニックが解散ないし路線変更を余儀なくされた70年代の終わりから80年代初頭。
 サムラ・ママス・マンナやラグナロクが時代相応に細々と活動し続けてはいたものの、実質上80年代以降のスウェディッシュ・プログレッシヴはアンダーグラウンドな領域へと追いやられてしまった感は否めないのが正直なところであろう。
 それでもイシルドゥルス・バーネやトリビュート、ファウンデーションといった時流の波に拮抗しつつ、時代相応にクリアーで聡明な北欧らしさを保持した素晴らしい作品が世に出た事は大いに評価せねばなるまいし、70年代の置き土産とでも言うべき発掘系のミスター・ブラウン、ミクラガルドに加えて、80年代マイナーレベル系のオパス・エスト、ミルヴェイン、そして現在もなお現役バリバリに活躍しているアンデルス・ヘルメルスンのデヴュー作とて決して忘れてはならない逸品であるのは言うに及ぶまい。
 そんな80年代初頭というスウェディッシュ・プログレッシヴの転換期を迎えていたさ中、まるであたかも“稀代のカリスマ”をも目論むべく一躍シーンに躍り出たカルティヴェイターは、当時の他のプログレッシヴ系バンドとは一線を画するかの如くアンダーグラウンドな範疇をも超越しその一種異彩を放つ独創的な音楽性を武器に、21世紀の現在もなおカルト的で根強い人気を博していくのである。
 今や各方面でカリティヴェイターの詳細なバイオグラフィーが紹介されているので、ここでは出来る限り重複を避けて簡単に彼等の歩みについて触れていきたいと思う。
 1975年にドラマーのJohan SvärdとベーシストのStefan Carlssonを中心に後のカルティヴェイターの母体ともなるTUNNELBARN(スウェーデン語で地下鉄の意味)が結成され、ギターにオーボエ奏者を加えた4人編成でインストゥルメンタル・オンリーのプログレッシヴ・ロック志向で経歴をスタートさせている。
 当時からもう既にクリムゾン始め、マグマ、GG、ハットフィールド&ザ・ノース、アール・ゾイ、果てはR.I.O.系列のヘンリー・カウ、アート・ベアーズ…等といった硬派な路線を嗜好していただけに、ジャズロック愛好のお国柄といえども当時はなかなか周囲の理解を得られず受け入れ難いところもあったみたいで結構難儀な思いをしたみたいである。
 その後はオーボエ奏者が学業に専念する為に脱退したり、音楽的にもっと幅を持たせてシンフォニックなスタイルをも導入しようと紆余曲折と試行錯誤の末、高校時代の学友でピアノの腕に覚えのあったJohan Hedrenをキーボーダーに迎え、ギタリストの兄弟関係だったヴァイオリニストを加えた5人編成で様々なギグやロックフェスに相次いで参加しそれなりに知名度と感触を得るものの、バンドの継続と維持は予想外に困難を極め…とどのつまりTUNNELBARNは敢え無く解散という憂き目に遭ってしまう。
 TUNNELBARN消滅後、ドラマーとキーボードの2人のJohanは、様々なギグやフェスですっかり顔馴染みになって以後親交を深めていたギタリストのJonas Lingeを迎えて、TUNNELBARNでの経験を糧に新たなプログレッシヴ・バンドの編成を模索していたところ、一時期プログレッシヴから離れて商業系のロック&ポップスに活路を求めていたStefan Carlssonが、売れ線狙いロックのあまりのつまらなさにほとほと嫌気が差して再び合流する事となり、1979年彼等は心機一転バンド名を新たにカルティヴェイターとして再出発を図る事となる。
 ちなみにカルティヴェイターというバンド名の意は、KULTIVATOR(文化人)CULTIVATOR(耕運機)を掛け合わせた彼等らしい皮肉っぽさと洒落の効いた狙いがあったみたいだ。
 成る程、彼等の唯一作にエッチングで農夫達が描かれていたのも意味深で頷けよう…。

 カルティヴェイターの起動から程無くして、Johan Hedrenが参加していた音楽プロジェクトで知り合った女性マルチプレイヤーIngemo Rylanderにも声をかけ、渡りに舟と言わんばかり…ヴォーカルからリコーダー果てはフェンダーローズまで弾きこなせるという多才さが助力となり(紅一点という意味も含めて)、彼等が目指すべく音楽性並び思惑と一致するのに時間を要する筈も無く、かくしてカルティヴェイターはIngemo Rylanderを加えた5人のラインナップで、80年代スウェディッシュ・プログレッシヴの新たな一頁となるべく伝説を切り拓く事となった次第である。

 TUNNELBARN時代から引き続き彼等のホームタウンでもあるLINKÖPINGを活動拠点にし精力的に活動を行っていたかと思いきや、実際のところは1981年に唯一作をリリースするまでの間は殆どこれといった表立った活動が出来ない状態が続き、早い話が不遇の時代はなおも続いていたと見る向きが正しいと言えよう…。
 現時点にて把握出来ているだけで僅かたった3回前後しかライヴが行えず、80年代初頭という悪夢の様な時期がプログレッシヴ・ロックそのものを求めていなかったという暗澹たる様相が浮き彫りになっていた事を如実に物語っている。
 日本の様に最低限シルバーエレファントの様なプログレッシヴ専門のライヴスペース一つでもあれば多少なりともまだ救われていたのかもしれないが、今となっては時代の冷遇さというものをつくづく恨みたくもなる。
 結果的にバンドとしての活躍期間は2年弱という短命に終わり、カルティヴェイターは敢え無く解散の道を辿る次第であるが、このままでは終われないと意を決した彼等は、困難な時代での輝かしき青春の一頁と言わんばかり自らの生きた証として“カルティヴェイターの音楽”を遺そうと思い立ちPA関連含む音響機材の一切合財を売却して資金を捻出し、そんな苦労を積み重ねた末1980年の7月ホームタウンのLINKÖPINGのAVOスタジオにて漸くアルバムの為の録音に着手する事となる。
 資金面といった経済的な事情で録音期間含めてスタジオが使えるのは概ね4ヶ月間という強行スケジュールで、大半がスタジオ・ライヴ一発録りに近い形のレコーディングであったものの、彼等は臆する事無く全身全霊を傾け精力的に取り組んだ。
 オーヴァー・ダブやらミキシング云々込みで何とかギリギリの期限内にマスターテープを完成させたものの、演奏技量の面で不足気味だった箇所やら自分達が望むべく理想の音作りとは程遠かった事に、大なり小なりの不満やら失望感とが入り混じったやるせない気持ちが勝っていたとの事だが、決して満足とは言えない状況の中…兎にも角にもやれるべきところは全てやったと日に々々感慨深い気持ちへと傾いていったのが何よりといえよう。
 マスターテープのコピーをスウェーデン国内の各方面のレコード会社へ送ってはみたものの何の返答が得られないまま無しの礫の状態が続き、翌1981年漸く苦労の甲斐あって友人知人達からの資金援助と助力で当時発足間もない新興レーベルだったBAUTAからのリリースまでに漕ぎ着けたカルティヴェイターは、地道で牛歩なペースでセールスを継続しスウェーデン国内でも次第に注目され始め、最初で最後のデヴュー作でもある『Barndomens Stigar』は初版200枚が完売、最終的にはスウェーデン国外へと輸出される頃には累計500枚ものセールスとなった。
          
 ヘヴィなリフのベースとドラムに導かれ無機質でカンタベリーサウンドの面影を垣間見せるオルガンとエレピが怒涛の如く押し寄せるオープニング1曲目から彼等の面目躍如と言わんばかりである。
 一転してのどかでほのぼのと牧歌的な北欧トラッド調のギターとリコーダーが顔を覗かせつつ再びヘヴィなリフが絡み付くともなると、あたかも曲のイメージ通り大自然の中を疾走する暴れ馬の勇壮な姿が脳裏に鮮明に甦る事だろう。
 紅一点Ingemo Rylanderの歌唱力と魅力が光る2曲目は、彼女が奏でるミスティカルなフェンダーローズに導かれ、これまたミスティックで愛らしくキュートというか或いはアンニュイでコケティッシュなIngemoのウィスパーヴォイスに惑わされつつも緩急のメリハリが効いた妖しくもヘヴィなナンバー。
 後半パートの彼女のリコーダーに被るカトリシズムな憂いと悲哀感を帯びたオルガンが何とも刹那で印象的ですらある。
 深みを帯びたフェンダーローズの残響音が効果的なイントロダクションの3曲目は、あたかも漆黒の闇に包まれた北欧の森を闊歩する小人の集団をも彷彿とさせる、力強さと繊細さが同居したしいて言うならば初期のソフト・マシーンないしハットフィールズ辺りの曲想に近いものを感じさせる。
 クリスタルできらびやかな感のローズの音色が美しい、全曲中唯一北欧ポップス的なカラーを強めに打ち出した4曲目も聴き逃してはなるまい。
 ジャズロック然とした小気味良いメロディーへと転調し、Ingemoのポップス的な側面が垣間見える陽気で楽しげなファンキーさが堪能出来るヴォーカルラインが実に心地良い。
 後半のフリップ調を思わせるギターに一瞬聴き手をニヤリとさせる様な嬉しい演出が何とも心憎い。
 絵に描いた様なトラディショナルな森の音楽を連想させるリコーダーとアコギの音色に誘われて夢見心地な浮遊感に包まれた5曲目は、いきなり力強い変拍子のアンサンブルに転ずるとジャケットのイメージと違わない汗水流して働く農夫達の日々の生き様が目に浮かんでくるかの様だ…。
 牧歌的で高らかに鳴り響くリコーダーにサイケ風がかったオルガンを耳にする度、かのフロイドの名作「原子心母」の(良い意味で)チープな短縮版みたいだと思えてならないのは私だけだろうか(苦笑)。
             
 Ingemoの一種エロティックで毒々しく何かに憑かれたかの様な妖しげな狂気の片鱗すら窺えるハイテンションなスキャットに加えて、マグマやアレアばりの偏屈なクロスリズムと攻撃的でアグレッシヴなメロディーラインが凄まじい6曲目も実に素晴らしい。
 静寂と衝動、ロゴスとパトス、狂気と正気、動と静、剛と柔といったキーワードが混在するカオス渦巻くサウンドスカルプチュアは、筆舌し尽くし難い位に足を踏み入れてはならない禁断の領域にまで達しているまさしく齧り聴き厳禁の全曲中に於いて最大最強の聴き処と言っても過言ではあるまい。
 前の5曲目と並んでこの曲の為に彼等の唯一作に是非とも接して欲しいと切実に願わんばかりである。
 風情溢れる様な朗々たるメロディーラインながらも、ほろ苦いリリシズムと抒情性を帯びたジャズィーでメランコリックな側面をも覗かせる小曲の7曲目、そしてラスト8曲目にあってはシンフォニックなエッセンスを加味したローズピアノにシンセのギミックを多用し、メンバー全員が持て得る力を全編に注ぎ込んだパワフルでメリハリの効いたヘヴィ・シンフォニックなジャズロックを奏でつつ大団円に向かって幕を下ろすという趣向すら匂わせている…。

 これだけの高度なクオリティーと完成度を有しながらも、たった数回のギグで短命への道を辿った彼等に冷酷にも時代の運は味方してくれなかった事が何とも悔やまれてならないというのが率直なところでもある…。
 カルティヴェイターの解散を機にJohan SvärdとJonas LingeはホームタウンだったLINKÖPINGを離れ、Stefan Carlssonは新天地を求めてスウェーデン国外へと移住、Ingemo RylanderはそのままホームタウンのLINKÖPINGに残ったらしく、Johan HedrénはBAUTAレーベルの主要スタジオミュージシャンとして現在もなお精力的に活躍しているとの事。
 1991年にはスウェーデン出身の数々のプログレッシヴ・アーティストの為に設立されたAD PERPETUAM MEMORIAM (通称APM)レーベルから70年代のアトラスやブラキュラと共にカルティヴェイターもリイシューCD化され、その時のボーナストラックとして当時のライヴレパートリーで未収録マテリアルだった「Häxdans」の新録の為一時的ではあるがバンドが再結成される運びとなる。
 が、これを契機にかつてのバンドメンバーが頻繁に顔を合わせる機会が増え、APMレーベル倒産でバンドメンバーへの支払いが未払いになるといった予想外なアクシデントこそ見舞われたものの、気持ちを切り替えてアングラガルドを世に送り出したMellotronenレーベルの関係者と何度も接触を図り、21世紀の2005年二度目の再結成を果たす事となる。
 APMレーベルからリリースされた2曲のボーナストラック(未発マテリアル「Häxdans」と、デヴュー前にライヴ収録された「Tunnelbanan Medley」)収録のマスターに更なるリマスターを施し、新たに数少ないライヴ音源から1980年の公演の際に録られた名曲「Novarest 」のライヴヴァージョンを加え、2008年Mellotronenレーベルより27年振りとなる新曲4曲が収録されたミニアルバムCD『Waiting Paths』が付された2CD三面デジパックの豪華仕様で再々リイシューCD化される運びとなり、更なる今年2016年には母国のプログレッシヴ専門レーベルTRANSUBSTANSより3度目のCD化と初のリイシューLP盤までもがリリースされ、改めて彼等カルティヴェイターの根強い人気とカリスマたる健在ぶりをアピールしたのは記憶に新しい…。

 カルティヴェイター関連のネットの情報筋によると新曲4つをレコーディングした2006年に再び活動を停止し10年経った今もなお長きに亘る沈黙を守り続けている昨今であるが、彼等がこのままで終わる筈が無いと信じているのは決して私だけではあるまい…。
 10年間という長き眠りから目覚めて、来たる2017年を境にそろそろ彼等が新たなる胎動を起こしそうな予感をも抱いているのは些か穿った見方であろうか?
 いずれにせよ21世紀のプログレッシヴ・ムーヴメントは何が起こっても不思議ではないというのが昨今の相場と決まっているが故に、カルティヴェイターの次なる復活劇の鍵を握っているのはバンドのメンバーでもあり、あるいは北欧の凍てつく大地と森林の神々のみぞ知るといったところであろうか…。
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Zen

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