夢幻の楽師達 -Chapter 22-
2019年今年最後にお送りする「夢幻の楽師達」は、数々の栄光と伝説の名作を世に送り出した70年代イタリアン・ロックシーンに於いて、伝説の中の伝説にして名匠の中の名匠と言っても過言では無い、21世紀の今もなおその神々しさと大御所たる貫禄でイタリア音楽界の重鎮として存在感を示しているであろう…かつての名うての実力派プレイヤー達が結集した文字通りイタリアン・ロックきってのスーパーバンドとして一時代を築き上げた“イル・ヴォーロ”に今再び栄光のスポットライトを当てて一年を締め括りたいと思います。
IL VOLO
(ITALY 1974~1975)


Alberto Radius:G, Electric Sitar, Vo
Mario Lavezzi:G, Electric Mandolin, Vo
Vincenzo Tempera:Key
Gabrile Lorenzi:Key
Roberto Callero:B
Gianni Dall'Aglio:Ds, Per, Vo
古今東西の長きに亘るロックシーンに於いて、いつの時代でも俗に言う“スーパーバンド”なるものは必ずといっていい位に存在(登場)するもので、ことプログレッシヴ・ロックのフィールドでは、(産業ロックにカテゴライズされるものの)かのイアン・マクドナルドを擁していたフォリナーを皮切りに、初期UK然りエイジアそして近年ではトランスアトランティックも忘れてはなるまい。
かく言う私自身も記憶に留めている限りのバンドを挙げた次第ではあるが、掘り下げればもっともっとスーパーバンドクラスの存在が発見出来る事だろう。
話は本編に戻るがそんなスーパーバンドクラスなるものをイタリアン・ロックシーンに限定した場合、先ず真っ先に思い出されるとなると十中八九の率で、今回の主人公でもあるイル・ヴォーロではなかろうか。
彼等にまつわる個人的な思い出話みたいで恐縮であるが、高校2年の初夏の頃…件のキングレコードのユーロロックコレクションにてリリースされた彼等イル・ヴォーロのデヴューアルバムとの初めての出会いが思い起こされる。
目の中の瞳が地球という(別な解釈で喩えるなら地球を見つめているといった方が妥当であろうか)一風変わった斬新な試みを思わせるジャケットに惹かれ、迷う事無く馴染みのレコードショップへ足早に駆け込んで、なけなしの小遣いを叩いて購入したのを昨日の事の様に記憶している。
まあ今にして思えば、ユーロロック(+イタリアン・ロック)の予備知識を持たず右も左も分からない初心者マーク風情みたいな生意気盛りの若造だった時分、既にPFMやバンコ、ニュー・トロルスに触れていたとはいえ、肝心なフォルムラ・トレに触れずしていきなりのイル・ヴォーロなのだから、挑戦的というか冒険的というか些か怖いもの知らずで無謀だったよなぁと感慨深くなる事しきりである(苦笑)。
前出のイタリアン3バンドでイタリアン・ロック=テクニカルで豪華絢爛なシンフォニック・ロックという荘厳な音世界といった先入観でしかなかったので、そういった類の音をイル・ヴォーロにも期待してはいたものの、印象的なジャケットとは裏腹に予想に反して地味めな音作りの渋い世界観に違和感を覚えてしまったのが当時の率直な感想だったものだから何ともお恥かしい限りである…。
半年にも満たない内に結局イル・ヴォーロを市内の中古レコード店に売却し、その売ったお金を注ぎ込んで気になっていたオザンナの『パレポリ』へと走ったのだから本末転倒も甚だしい。
しかし運命と縁とは不思議なもので、時間と歳月は人を変え成長させるの言葉通り、十代の時分に退屈感極まりないと感じてしまったイル・ヴォーロのデヴュー作がだんだんと懐かしく思えて、二十代の半ばにはまた再び聴いてみたいと考え直させてくれるのだから意外といえば実に意外である。
市内の中古レコードフェアで一縷の望みを託して探しに探しまくった末、再会の思いで漸く買い直したイル・ヴォーロのデヴューアルバムは同時期に買った2ndアルバムと共に、その後紙ジャケットCDへとフォーマットが移行するまでの長い間、私自身のディスクライヴラリーに収まりずうっと愛聴してきた違う意味での思い出のアルバムとなった次第である。
何だか若い時分の青臭くてお恥かしい限りの駄文みたいな書き出しになってしまったが、何はともあれイル・ヴォーロは今日までのイタリアン・ロックの長い歴史に於いて、紛れも無く名実共にスーパーバンドとしての実績はおろか、その確固たる地位と名誉と足跡を刻み付けた存在だった事だけは異論あるまい。
今更何を言わんやとお叱りやらイチャモンを付けられそうだが、イタリアン・ロック黎明期の70年代初頭…フォルムラ・トレ始めカマレオンティ、ジガンティ、オサージュ・トリベ、ドゥエロ・マドーレ、果てはヌメロ・ウーノレーベルの設立者でもありブレーンでもあったルーチョ・バッティスティのバックバンドを経て腕を磨いてきた名うての実力派プレイヤー達が集結しただけに、バッティスティ含めバンド所属元のヌメロ・ウーノのみならず、当時イタリアン・ロック関連メディアの各方面がこぞって一世一代のスーパーバンド誕生に拍手喝采を贈り色めきたったのは言うに及ぶまい。
1972~1973年にかけて一時の栄華を極めたイタリアン・ロックの黄金時代も、オイルショックで端を発した様々な諸問題の併発と同時にロックシーン自体も大なり小なり翳りの兆候が散見され始めた事を機に、多くのバンドがたった一枚きりの作品を遺して解散への道を辿り、世代交代の如く新たなバンドが輩出しては短命で解散への道を辿るといった悪循環の繰り返しさながらの様相だったのは御周知であろう。
そんな時代背景のさ中、バッティスティとヌメロ・ウーノの(決してゴリ押しという訳ではないが)強力な後押しと尽力の甲斐あってフォルムラ・トレ解体後のRadiusとLorenziは意を決して、Lavezzi、Tempera、Callero、Dall'Aglioに協力を働きかけ、1974年まさしく“飛翔”の意の如くイル・ヴォーロと命名した新バンドとして世に躍り出て、バンド名を冠したデヴューアルバムをリリース。
名うての強力なプレイヤーが結集しただけあって、各方面並び音楽関係のプレスでも評判は上々で過渡期を迎えていたイタリアのロックシーンに新風を巻き起こすだけの実力も然る事ながら、作品全体に漂っているカンタウトーレ風に歩み寄った楽曲と趣、イタリアのアイデンティティーに加味したある種のワールドワイドな視野をも見据えたであろう幾分開放的なイメージとポップスなフィーリングも雄弁に物語っていて実に興味深い。
まあ、ひと言で言ってしまえば極端で土着的なイタリア臭さが稀薄になって、世界進出に成功したPFMに倣ったかの様なクールなスタイリッシュさとインテリジェンスを纏ったと言ったら分かりやすいだろうか。
デヴューアルバムに収録されている全曲とも概ね3~4分の小曲で占められてはいるものの、粒揃いの印象ながらも全曲の完成度とクオリティーは高く、前出の通りカンタウトーレ寄りな歌物風な趣に加えて非シンフォニックでジャズロックな彩りが与えられており、バンドのメンバーが長年培われてきた音楽経験とアイディアが濃密に凝縮され、文字通りイタリアン・ロックの新たな一頁を飾るに相応しい充実した出来栄えを誇っていると言っても過言ではあるまい。

デヴューアルバムの上々な成果を得たバンドとレーベルサイドは、時代の追い風の上昇気流に乗ずるかの如く早々に次回作への構想と製作に着手する事となり、デヴューとは異なった作風で2作目を推し進めていかねばと奮起し、自らの創作意欲を鼓舞させてリハーサルと録音に臨んだ彼等6人は、翌1975年周囲からの期待を一身に受け『Essere O Non Essere ? Essere, Essere, Essere !』という何とも意味深なタイトルの2ndアルバムをリリースする。

蒼一色の地中海と紺碧の天空というブルーカラーで統一された背景に、あたかもギリシャ神話のイカロス或いは鳥人間(鳥人)をも彷彿とさせる古代のハンググライダーの飛翔が描かれた紛れも無くバンドネーミング通りのアートワークに包まれた2作目は、前デヴュー作とは打って変って自国のアイデンティティーに基づいた地中海音楽風な原点回帰を目指したであろう、ヴォーカルパート入りの「Essere」を除き殆どがインストゥルメンタルに重きを置いた意欲的な試みが為されており、さながら同時期にデヴューを飾ったアレアやアルティ・エ・メスティエリの作風をも意識したアプローチすら垣間見えるといったら言い過ぎであろうか。
本作品から思い切って導入したギターシンセの効果的な使用も然る事ながら、歌物的なデヴューから一転したメディテラネアンチックなサウンドカラーが徹頭徹尾に反映されたジャズィーでクロスオーヴァーな曲構成・展開に聴衆やリスナーを大いに戸惑ったものの、結果的には前デヴュー作に負けず劣らずな好評価を得る事が出来たのは言うまでもなかった。

デヴューとは異なった方法論とサウンドスタイルで自らが持ち得るスキルとアイディアを思いの丈の如く存分に引き出し…有言実行通り夢幻の音空間に飛翔=IL VOLOを遂げた彼等6人ではあったが、各方面からの賞賛や好評価とは裏腹にマーケット市場での今一つな反応に加えてセールス面での伸び悩みにすっかり意気消沈してしまい、その後僅か数回のギグをこなした後、もはや自分達が演れるべき事はもうすっかり演り尽くしたと言わんばかりにバンドの解体を決意し、イル・ヴォーロも僅か一年弱という活動期間で短命バンドという道を辿ってしまう。
その後のメンバー各々の動向にあっては既に御周知の通り、イル・ヴォーロを支えた2人のギタリストAlberto RadiusとMario Lavezziの両名は、バンド解散以降カンタウトーレの大御所として多数ものヒット作を連発し、ことRadiusにあっては名作『Che Cosa Sei』始め、『Carta Straccia』、果てはアメリカ文化をおちょくった(皮肉った)かの様な『America Good-Bye』、1981年にはイル・ヴォーロ時代の回顧をも連想させる様な意匠の『Leggende』といった傑作名作を多数リリースし、後の1991年に自らの活動と同時進行する形でかつての盟友Tony Ciccoと合流しフォルムラ・トレの再結成を遂げ(当初はGabrile Lorenziも再結成に参加していた)『King Kong』始め、94年の『La Casa Dell'imperatore』、96年の『I Successi Di Lucio Battisti』をリリースした後に解散。
そして21世紀を経て2004年に再びTony Ciccoと合流しフォルムラ・トレ再々結成を果たし『Il Nostro Caro... Lucio』をリリースする傍ら自らの活動も継続させて、今やイタリア音楽界の大ベテランとして今日までに至っている。
一方のLavezziも『Iaia』を始め『Filobus』といった傑作ソロをリリースし、Radiusと並ぶ大御所として確固たる地位を築き上げている。




再結成フォルムラ・トレに参加したGabrile LorenziもRadiusやCiccoと袂を分かち合った後は、裏方兼スタジオミュージシャンの第一人者として、イタリア国内の大多数ものシンガーやアーティストのバックとアレンジャーを務めて多忙に追われる今日を過ごしている。
Vincenzo Temperaもイタリア音楽界での第一人者として重鎮的なポジションに就き、マエストロの称号を得た後はサンレモ音楽祭の常連としてコンダクターをも兼任している。
リズム隊のRoberto CalleroとGianni Dall'Aglioも後進の育成に多忙を極めており、セミナーを開催してスクールの講師をも務めているそうな。
ちなみにRoberto Callero自身今もなお現役ベーシスト兼チャップマン・スティックの名手として、各方面でのプロジェクトやバックバンドに参加して悠々自適な日々を送っているとのこと。
栄えある未来と希望が期待されながらも、ちょっとしたボタンの掛け違いとでもいうのか…それぞれの思惑の喰い違いで、そのあまりに短い活動期間で幕を下ろしたイル・ヴォーロであったが、彼等が70年代のイタリアン・ロックシーンに刻み付けた軌跡と楽曲は今もなお時代と世紀を越えて全世界の聴衆に愛され続け語り継がれていく事であろう。
たとえ彼等が「あれはもう過去の事だから…」と一蹴したとしても、あの時の彼等6人は未来ある青春期と栄光という時間の真っ只中にいた事だけは確かに紛れも無い事実である。
あの日あの時創った音楽こそが僕等の全てなんだ…という事だけは静かに受け止めてあげたいし信じて願わんばかりである。
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