幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 23-

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 2020年、新年明けましておめでとうございます !!

 Happy New Year in 2020 !!

 皆様新年明けましておめでとうございます、本年も引き続き宜しくお願い申し上げます。
 昨年の夏にFC2ブログへ移転してから早いもので半年近く経ちましたが、お蔭様でデータの移植が思っていた以上かなり至難である半面、セルフリメイク(復刻リニューアル)という目的に対し意欲は全く衰える事無く、以前に増して更に貪欲且つがむしゃらになっている新春の今日この頃です(苦笑)。
 東京五輪に脇目も振らず、今年の10月いっぱいまでには自身が概ね納得出来る様な…理想的ともいえる『幻想神秘音楽館』再興となれるよう奮起したい意向ですので、皆様どうか温かくも長い目で見守って頂きたく重ねて宜しくお願い申し上げます。

 さて…2020年、今年最初の「夢幻の楽師達」は新年第一発目という事を踏まえ、今回は21世紀の今日までに至るジャーマン・シンフォニックの源流にして、新世代ネオ・プログレッシヴへと繋がる礎を築き上げたと言っても過言では無い、プログレッシヴ・ファン待望の伝説的大御所にして現在もなお精力的な活動と共に生き続ける…まさしく巨匠の称号に相応しい“エニワンズ・ドーター”に今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

ANYONE'S DAUGHTER
(GERMANY 1977~)
  
  Matthias Ulmer:Key,Vo
  Uwe Karpa:G
  Harald Bareth:Vo,B
  Kono Konopik:Ds,Per

 名実共に今世紀にまで繋がるジャーマン・シンフォニックの源流にして、その地位たるものを世界的レベルにまで向上させ多大なる尽力と貢献に努めたと言っても過言ではない、文字通り80年代プログレッシヴのパイオニア・立役者となったエニワンズ・ドーター。
 西ドイツ時代…70年代に勃発した俗に言う“ジャーマン・プログレッシヴ”。
 そのキーワードをお聞きになって真っ先に連想する事といえば、大概は難解、瞑想的、LSD系のドラッグ体験、電子音楽+サイケデリック、アシッドフォーク…等と、やや取っ付き難くて尖った硬派でお堅いイメージというのが大方の印象と見解であろう。
 無論、正統派のロックミュージックという視点で見渡せば、大御所のスコーピオンズを始め過去には(プログレ寄りという意見合いも含めて)ルシファーズ・フレンド、バース・コントロール、エロイ、ネクター、フランピー、フェイスフル・ブレス、オイレンシュピーゲル…等といったジャーマン・ハードロック系、果てはEL&Pに触発されたトリアンヴィラート、トリトナスも忘れてはなるまい。
 一方でヨーロッパ特有のロマンティシズムを湛えたシンフォニック・ロック系に及ぶと…グローブシュニット、ヘルダーリン、ヴァレンシュタイン、ノヴァリス、ウィンド、ペル・メル、ジョイ・アンリミテッド、エデン、ルソー、単発系ならアイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、アメノフィス、ヴァニエトゥラ…等が顕著なところであろうか。
 まあ、ジャーマンとひと口に言ってもその範疇は多岐に亘り、そのスタイルは多種多彩にして百花繚乱…分かり易く言ってしまえば間口が広過ぎて好みの選択肢が豊富なものの、逆に考えればどっち付かずにも等しく数が多過ぎて収拾がつかないのもジャーマン・ロックならではと言えまいか(苦笑)。

 前置きが長くなったが、70年代全般に亘って活躍してきた多くのジャーマン・シンフォニック系にあっては、グローブシュニット然りヴァレンシュタイン、ノヴァリスも高水準で素晴らしい完成度を有しながらも、今一つ何かしら抜け切れていないもの、所謂ジャーマン特有の土臭さ…悪く解釈してしまえば辛辣なロック評論家が口にするであろう“ドイツの片田舎臭さ”といったきらいが感じられるのも事実で、ワールドワイドなプログレ(決して売れ線狙いな商業ロック化するという意味ではなく)というレベルにまだ達し切れていないもどかしさを、私自身過去に何度痛感したことだろうか…。(それがジャーマンらしくて良いという意見もあるが)
 そんな西ドイツの70年代という閉塞感を脱却し、来たるべき80年代への時代の移り変わりに呼応するかの様に…エニワンズ・ドーターの4人の若者達はジャーマン・ロックシーンに彗星の如く登場した。
 1971年を境にハンブルグとシュツットガルト在住の学生達を中心にエニワンズ・ドーターの母体ともいうべきバンドが結成され、この頃からキーボードのMatthias UlmerとギタリストのUwe Karpa(当時は彼はまだ若干13歳の若さだった!)を中心に、ディープ・パープルからEL&P、イエス、ジェネシス、フォーカス、マハビシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァー、果ては同国のジェーンや、エロイ、グローブシュニットに影響を受けたバンド・創作活動を実践し、72年から79年のデヴュー前にかけては前出のエロイやグローブシュニットといった人脈・人伝を通じて年間数十回にも亘る前座活動と単独ギグをこなし、当時の西ドイツ国内でもかなりの知名と認知度を上げていたとのこと。
 1975年に美青年のベーシスト兼リード・ヴォーカルHarald Barethが加入し、1977年にはパンケーキに在籍していたドラマーKono Konopikを迎えて、こうして第一期エニワンズ・ドーターのラインナップが揃う事となる。
 1978年、デヴューアルバム製作という目標に先駆けてシュツットガルトの旧砂糖工場だったスタジオで、“I Hear An Army” “Ma Chère Marquise De Sade” “Window Pain”そしてデヴューアルバムに収録された“Sally”の原曲となった“Sally The Green ”の4曲をレコーディングし、そのデモ音源を携えて大手のブレインレーベルへ積極的に働きかけ、その甲斐あってか程無くして翌1979年デヴュー作リリースのディールを取り付ける事に成功する。
 ちなみに余談ながらも、先のデモ音源に収録された4曲は後年意外な形で陽の目を見る事となるのだが、それは後ほど触れる事として、1979年彼等はブレインレーベルの強力な後押しで記念すべき念願のデヴュー作『Adonis』をリリースする。
 そのワールドワイドな規模をも視野に入れたかの様な、初々しくも瑞々しい若い感性が発露したジャーマン・シンフォニックロック新時代到来を予感させる、真摯で堂々たる創作姿勢と音楽的にも素晴らしい内容がドイツ国内外でも高く評価され彼等はデヴュー早々幸先の良いスタートを切る事となる。
 デヴュー作でいきなり旧アナログ盤A面全面を費やした4部作組曲形式の大作“Adonis”は、イエスの『危機』やジェネシスの『サパーズ・レディ』に触発され、当初から大曲主義を意識したリスペクトをも孕んだ内容で、若々しい感性で綴られるギリシャ神話の世界をシンフォニック・サウンドで見
事に描ききった意欲作にして彼等の代表作となり、文字通り80年代プログレッシヴの名曲となったのは最早言うまでもあるまい。
          

 しかしその舞台裏に於いてレコーディング自体は順調に進んでいたものの、彼等自身その製作途上で思いもよらぬ理想と現実とのギャップを思い知らされる事となる。
 皆さん既に御存知の通り、デヴュー作『Adonis』は実はアルバムリリース以前にもう一つジャケットデザインが存在しており、ギリシャ神話の世界観をファンタジックに描いた美麗なアートワークが使われる筈だったのだが、リリース元のブレイン側がこれに難色を示し(要は早い話…“そんなジャケ
ットじゃ売れない!”と言わんばかりにファンタジーめいたデザインは却下されたものと思われる)、結果的にブレイン側の提示したデザインの要望を呑むという形で解決に至ったものの、その事が後々バンドとレーベル側に大きなしこりとなって両者との間に出来た溝が埋められなくなってしまったのは言うに及ばず。
 ブレイン自体も70年代というスタイルから脱却し、より一般大衆向けのセールス主義に移行しつつあった時代背景があったとはいえ、バンドの意向に聞く耳持たずといった方針転換に対しそれは些か少々酷な話だと思うのは私だけだろうか…。
 まあ、後年1993年に初CD化された際、没になったアートワークが復活した事が唯一の救いとなってはいるが、幻想的な意匠にせよ、ブレイン側が提示したデザインにせよデヴュー作『Adonis』の素晴らしい音楽世界観は不変という事だけは紛れも無い事実であろう(没になった幻想的なイラストは現在YouTubeで観る事が出来る)。

 バンドとレーベル側とが歩み寄る事無く半ば離反に近い形で継続していたものの、デヴュー作『Adonis』はセールス的には好調で、大曲“Adonis”に加えて彼等自身のバンドテーマソングとなった“Anyone's Daughter”もライヴでの大きな話題と評判となって、ファンの支えは彼等にとっても大きな追い風と原動力になった。
 そして時代はいよいよ80年代に突入し、周囲のバンドメイトからの薦めもあってブレインを離れた彼等は自由な気風の目玉焼きマークでお馴染みの大手スピーゲライに移籍する事となる。
 スピーゲライとの円満良好な関係は83年まで続き、まさしくエニワンズ・ドーター黄金期の到来でもあった。
 ゲルマンのロマンティシズムを絵に描いた様なファンタジックな意匠の1980年の2作目『Anyone's Daughter』は、バンド名をそのまま冠した通り改めて初心に帰った小曲集的な趣を湛えつつも決して小じんまりする事無く、ジャーマンのリリシズムとロマンティシズムを活かしつつ、シンフォニックな作風の中にも軽快でキャッチーなポップス感覚を備えたメロディーラインが前作以上に際立った秀作に仕上がっている。
 アルバム収録曲の“Moria”もラジオでオンエアされスマッシュヒットとなり、前出の“Anyone's Daughter”と並ぶ彼等の代表曲となったのも特筆すべきであろう。
    

 そして翌81年、彼等はこの年に大きな転換期を迎える事となる…。

 ヘルマン・ヘッセの「ピクトルの変身」からインスパイアされたライヴパフォーマンス一発録りで完全収録された通算第3作目の『Piktors Verwandlungen』こそ名実共に彼等の名前を不動のものとしバンドとしても最高傑作となった、文字通り80年代の…否!現在までに至るプログレッシヴ・ロックの歴史に燦然と輝く名盤・名作として数えられる一枚と言えるだろう。
      
 美麗な見開きジャケットのイメージに加えて、全曲を聴き終えた後の客席からの聴衆達の拍手喝采、スタジオ収録かと見まがうような曲の構成と展開、メンバーの演奏をバックにヘッセの詩を厳粛且つ切々と朗読するHaraldの姿が脳裏を過ぎる…そんなヴィジュアル感と相まって、彼等の幻想音楽世界はまさしく最高潮に達したと言っても過言ではあるまい。
    
 『Piktors Verwandlungen』という大きな足跡…その偉業を為し遂げた事を見届けたかの様にドラマーのKono Konopikが地域奉仕活動に専念する為にバンドを抜け、後任にPeter Schmidtを迎えた彼等は『Piktors Verwandlungen』から母国ドイツ語で歌う事に誇りとプライドを見出して以降、ドイツ語のヴォーカルメインで82年色鮮やかなブルーカラーを基調とした意匠と穏やかでアコースティックな趣と重厚さが際立った感の『In Blau』、翌83年には時代に呼応したデジタリィーでアーティスティックな作風の『Neue Sterne』という良質で素晴らしい2枚の好作品をリリースし、イギリスで勃発したポンプロックとはおおよそ無縁なまさしく我が道を邁進する姿勢を崩す事無く80年代のシーンを歩み続けた。    
 特に『In Blau』での15分強の大作“Tanz Und Tod(死と舞踏)”の充実ぶりには、プログレッシヴ・ロックのプライドを頑なに守り続ける並々ならぬ強い意志すら感じられ、かの“Adonis”に負けず劣らずの泣きと哀愁のリリシズムに感涙で目頭が熱くなる思いである。
      
 そして84年彼等の音楽的な集大成と言っても過言では無い2枚組ライヴアルバム『Live』は、今までのバンドの思いの丈が込められた選曲から音質、構成…等に至る全てに於いて、ベストオブベストなコンディションで臨んだ渾身と白熱のライヴパフォーマンスが凝縮された素敵な贈り物となったのはもはや言うには及ぶまい。
          

 そんな順風満帆だった彼等にも時代の波が押し寄せ、“ライヴアルバムを出した後のバンドは必ずと言っていいくらい大きな変化が訪れる”というプログレッシヴ業界普遍の諺通り、彼等エニワンズ・ドーターにも大きな変化が訪れ、バンドの顔でもあったHarald Bareth、そして二代目ドラマーPeter Schmidtの脱退は、今まで支えてきた多くのファンですらも俄かには信じ難い大きな衝撃となった。
 そして抜けた穴を埋めるかの如く、新進バンドだったエデンズ・テイストからヴォーカリストのMichael Braunを招き入れ、Andy Kemmer(B)、Gotz Steeger(Ds)を後釜に迎えた5人編成という新布陣で新作レコーディングに取り掛かるも、結局新曲5曲を収録したままバンドメンバー各々の諸事情や音楽的意見の食い違いやらでバンドは空中分解し、エニワンズ・ドーターは何とも呆気無い幕切れで長きに亘る創作活動そのものに終止符を打つ事となる。
 結果…1986年、MatthiasとUweの両名は残された新曲5曲のマテリアルと、前出にも触れたデヴュー以前に旧砂糖工場で収録した4曲のデモ音源を再編集し、A面に新曲5曲、B面にデヴュー前の未発デモ音源4曲で構成した『Last Tracks』を自主製作という形でリリースし、それと前後して正式な解散声明を発表。
 新メンバーを補充して時代相応に歩み寄った(再び英語のVoに戻している)新機軸を打ち出したというか、インターナショナルなセールスを意識したかの様な売れ線狙い気味のエレクトリックポップス風なサウンドに移行し、あきらかにロマンティシズムなシンフォニックに訣別して再出発を図った新曲5曲が今一つな感だっただけに、デヴュー前に録った未発音源の素晴らしさが余計際立って、有終の美を飾るにしては何とも味気無く皮肉なものである(苦笑)。
 スペースの都合上掲載は出来なかったものの美麗なアールデコ調のジャケットが秀逸なだけに、余計解散してしまったという一抹の寂しさは正直拭い切れない…何とも寂寥感漂う空虚でボヤけた印象の作品になったのが悔やまれてならない。
 私自身も当時マーキー誌のVol.025号でエニワンズ・ドーター解散の記事を執筆したから克明に記憶しているのだが、編集部から送られてきた最終作『Last Tracks』のデモ音源のカセットサンプルと、ジャケットのカラーコピー、そして編集部が対訳したバンドサイドからのラストメッセージを間近に接してみて、漸くエニワンズ・ドーター解散が現実のものであると認識したのを今でも昨日の事の様に覚えている…。

 エニワンズ・ドーターが事実上の解散となった後、MatthiasとUweの両名は女性ヴォーカリストINESのレコーディングに参加したり、新人バンドの育成・プロデュース業といった裏方に回り、その延長線上で音楽事務所やスタジオの運営にも携わるようになり、暫くの数年間は表立った活動のニュースというものが聞かれなくなった。
 余談ながらも、この時期と前後して前任ヴォーカリストのHarald Barethが地元高校の教師として教壇に立ち始め現在までに至っている。
 プログレ全盛期時代のエニワンズ・ドーターの素晴らしさと評判ばかりが独り歩きし、90年代に突入すると彼等の黄金期の作品も一挙にCD化され時代と世代を超えて新たなファンをも獲得するまでにその名前は伝説的に近いものとなった。
 そして21世紀…2001年にMatthiasとUweは新たなサウンドスタイルでエニワンズ・ドーターを復活させる。
 Andre Carswell (Vo)とRaoul Walton (B)のアメリカ国籍の黒人アーティスト両名に、古くから旧知の間柄だったPeter Kumpf (Ds)を迎えた5人編成で『Danger World』をリリースし新たに再出発を図る。
          
 メンバーにアメリカ人を加えた事でややもすればファンクかヒップホップに転向したのかといらぬ勘繰りや誤解をしてしまいそうになるが、ロマンティシズムなシンフォニック路線は完全に後退したものの、その逆に都会的で上品な洗練されたポップスと歌メロを存分に聴かせる良質なAOR風に方針転換した事は大いに正解だったと思える。
 そして同年には往年のファンと新たなファンへの素晴らしい贈り物とも言うべき、ファンからのリクエストによって選曲された、Harald BarethとKono Konopikそして2代目ドラマーPeter Schmidt在籍時の…まさしくベストオブベストな2枚組ライヴCD『Requested Document Live 1980 - 1983』までもがリリースされ、自己への存在証明と再確認という意味合いを含め、長きに亘る沈黙がまるで嘘だったかの様に彼等は再び活気に満ちた創作意欲を取り戻したのである。
 このリクエストライヴは世界的に大好評セールスを記録して、好評につき2003年にはアンリリースなレアライヴ音源と、画質はホームビデオ並みなクオリティーながらもデジタルりマスタリングを施した貴重なライヴDVD(PAL対応)の2枚組CD『Requested Document Live 1980 - 1983 Vol. 2』がリリースされ、続く2004年には前作の延長線上の新作『Wrong』に合わせて、かのヘルマン・ヘッセの生誕記念として名作『Piktors Verwandlungen』がジャケットデザインを新装しリマスター再発された事も特筆すべきであろう。
 2006年、バンドは新たな試みとしてMatthias、UweそしてAndre Carswellのトリオによるドイツ国内のアコースティック・ライヴツアーを敢行し各方面で絶賛され、翌07年にはその模様を収録したライヴCDと4曲入ボーナスDVDの2枚組ライヴ盤『Trio Tour』(2000枚限定プレスでナンバリング入り)を発表し、更なる可能性と新機軸を打ち出す事に成功する。

 2011年には大御所シンガーソングライターHeinz Rudolf Kunzeとの2002年共演ライヴ始め、先のヘッセ生誕祭での記念ライヴを収録した『Calw Live』を発表し、そして今もなお記憶に新しい2018年バンド名義として実に14年ぶりの現時点での最新作『Living The Future』をリリース。
 本作品ではMatthias UlmerとPeter Kumpfを主導に、Andre CarswellとRaoul Waltonが抜け、更には長年苦楽を共にしてきたギタリストのUwe Karpaが離れ、新たなギタリスト並びオランダ人の若手のヴォーカリストを迎えた形で、ベーシスト並びバックコーラスを含めた大所帯のゲスト布陣で臨んだ幾分『Neue Sterne』期の頃に立ち返ったかの様なゲルマンのロマンティシズムが堪能出来る好作品に仕上げているのが何とも嬉しい限りである。
    

 本文の終盤にかけてやや駆け足ペースで進めてきたものの、時代や世代がどんなに移り変わろうとも…サウンドスタイルや方法論が変わろうとも、やはり彼等エニワンズ・ドーターの洗練された音楽美学に一点の曇りは無い!
 今回の本文を綴ってみて改めて“嗚呼…やっぱり自分はエニワンズ・ドーターが好きなんだ”と言う事をつくづく思い知らされた気がする。
 彼等が今後どんな方向性に進むのか…1ファンとしてその生き様を見届ける為にも、これからまだまだ気長に付き合っていかねばなるまい。
 妄想の様な戯言みたいで失笑を買うかもしれないが、願わくばHarald BarethとKono Konopik(或いはPeter Schmidt)による4人黄金期のエニワンズ・ドーター奇跡と夢の再結集ライヴを、今一度でいいから観てみたいものであると願うのは私だけのささやかな我が儘であろうか…。
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