夢幻の楽師達 -Chapter 24-
2020年新春第2弾の「夢幻の楽師達」を飾るは、劇的にして浪漫と美意識を備えた独自の音楽的スタイルを確立させ日本のプログレッシヴ・ロック史にジャパニーズ・プログレッシヴハードという新たな一頁を残し、激動の80年代ロック・シーンを駆け抜け、解散後も尚絶大にして根強い支持を得ている…ロマネスクの旗手にして最早“伝説”の域に達したと言っても過言ではない“ノヴェラ”に今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
NOVELA
(JAPAN 1980~1986)


五十嵐久勝:Vo
平山照継:G, Vo
山根基嗣:G, Vo
高橋良郎:B, Vo
秋田鋭次郎:Ds, Per
永川敏郎:Key
私にとってジャパニーズ・プログレッシヴとの邂逅は紛れも無くノヴェラそのものであった。
70年代の日本のプログレッシヴのパイオニアがファー・イースト・ファミリー・バンド、四人囃子、コスモス・ファクトリーそして後年の新月を境とすれば、80年代は紛れも無くノヴェラであったと言っても過言ではあるまい。
70年代末期の関西は兵庫・神戸にて2つのバンドが産声を上げた。
ひとつは、ピーター・ハミル、ルネッサンス、エニド、クイーン、デヴィッド・ボウイ、イエス、UK等に影響を受けた平山照継、永川敏郎、そして当時の関西圏ではその名を轟かせていたアンジーこと五十嵐久勝を擁していたプログレッシヴ・ハード系の“シェラザード”。
そして、もうひとつは高橋良郎(現ヨシロウ)、山根基嗣に秋田鋭次郎を擁していたキッスばりのド派手なメイクとライヴ・パフォーマンスで人気を誇っていたHM/HR系の“山水館”。
1979年という激動の70年代最後の年、日本のロック史において大きく時代が動き出そうとしていた。
かの…たかみひろし(現、高見博史)氏がキング・レコードを拠点に日本発の世界に向けた本格的ロック・レーベル“ネクサス(NEXUS)”の設立と同時に、先のシェラザードがロッキンf主催の第一回アマチュア・バンド・コンテストにて優勝を飾った事を契機に、前後して山水館と合体したシェラザードはノヴェラと改名し、見事堂々とネクサスからの第1号バンドとして世に出る事と相成った次第である。
ノヴェラは、宣伝媒体においてミュージック・ライフやフールズメイト、キングのユーロ・ロックコレクション+洋楽新譜告知欄にて…まさに社を上げて大々的に告知され、関西圏においてはその鮮烈で且つ圧倒的なライヴ・パフォーマンスに加え、音楽性のみならず昨今のヴィジュアル系の走りともいうべき(良くも悪くも)アイドル的なルックスとファッションで人気を博していたのだが、デヴュー・アルバムに先駆け新宿ロフトでの東京初ライヴでは、キャパを遥かに上回る観客動員記録を樹立し、その人気はデヴュー作『魅惑劇』がリリースされるや否や全国区へと拡大しつつあった。
余談なれど…『魅惑劇』の当時の告知欄にて、ノヴェラのライヴフォト中での永川氏は何となくリック・ウェイクマンを彷彿させる様な衣裳だったと今でも記憶している。
個人的な主観で誠に恐縮だが…片や五十嵐、平山氏、その他のメンツに至っては当時のライヴ・ファッションから、おおよそとてもプログレを演っているとは思えない…在り得ない…程遠い…そんな最悪な第一印象だった…改めてホントにゴメンナサイ!!!(苦笑)。
最悪な第一印象に拍車を掛けるかの如く、私自身…あの当時、最初見た目どことなくアイドル歌謡曲ロック・バンドみたく、初めて接したノヴェラの音というのも失礼ながらもテレビの特撮番組の主題歌(円谷プロ製作、テレビ東京で放送していた「ぼくら野球探偵団!」)“マジカル・アクション!
”“アイム・ダンディ”だったのが不運であった。
今でも鮮明に覚えているが、「ぼくら…」にノヴェラがゲスト出演していたのも今となっては懐か
しくも貴重でレアな…早い話がロックバンドによく有りがちな「まあ…こんな時代もありました」みたいで何とも微笑ましくも感慨深い。

話が横道に逸れたが…ノヴェラの音楽との最初の出会いが出会いだっただけに、ますます彼等との距離が遠退いたのは言うまでもなかった(苦笑)。
それでも不思議なことに…各音楽誌の新譜告知欄に時折目を通したり、行き付けのレコード店にて彼等の作品を結構と気にかけている、そんな当時の自分がそこにいたのは紛れも無い事実である。
そもそも自分自身…「ああ…このバンド(プログレに限るが)絶対自分の好みではないな」と思うのにかぎって、後からものすごくハマってのめり込んでいってしまうこんなお決まりのパターンを繰り返しながら今日に至っているのだから全く以って世話は無い。

「ぼくら…」を例外とすれば『魅惑劇』そして翌年の前作の延長線上ともいうべき佳作の2枚目『イン・ザ・ナイト』、12インチ・シングルの『青の肖像』(内田善美女史の美しいイラストが素晴らしい!)とも、本当に日本のロック作品にしてはジャケット・ワークの美しさ、センスの良さ、素晴らしさでは他の日本のバンドの作品とは一線を画した、一歩抜きん出た個性・煌きを感じずにいられなかった。
1981年、ノヴェラに対しそんなこんなを考えてた矢先にリリースされたのが、3rdアルバム『パラダイス・ロスト』であった。
本作品にあっては、構築と破壊が隣り合ったようなロマネスク的雰囲気のジャケット・ワークの素晴らしさが音世界と見事に融合且つ相乗効果が作用し各音楽誌でも賞賛されたこともあって、自分自身も今度という今度ばかりは非常に内容が気になり興味を抱かずにはいられなかった。
ただ…あの当時は未だに「ぼくら…」のイメージが付き纏っていたのも正直なところであった。
が、もはや思い立ったら吉日とばかり当たり外れを抜きにとにかく買って聴くしかないと手に入れたのが、彼等との運命的・劇的な最初の出会いでもあった。

ジャパニーズ・プログレの先輩でもある四人囃子の森園勝敏をプロデューサーに迎えた本作品は、リーダー平山自身がノヴェラの全作品中最も気に入っている作品と言うだけあって、今までの自分自身が抱いていた「日本のバンドなんて…」といった誤解と偏見を完全に払拭するだけの世界観が見事に繰り広げられた珠玉の名作とも言える。
しかし皮肉なことに…聴き手側の思惑とは裏腹にバンド自体は、最初の危機ともいうべき平山、五十嵐、永川のシェラザード出身組と、高橋、山根、秋田の山水館出身組との二派に再び分裂という危なげな脆さが表面化していた…まさにバランスぎりぎりの緊張感漂う作品であったのも正直なところである。
分裂の兆候は恐らく『青の肖像』辺りからだと思うが、今にして思えば平山作の"メタマティック・レディ・ダンス"であれだけノヴェラ流ヘヴィメタルな側面を垣間見たのに"何故…?"と首を傾げたくもなる。
山水館組メンバーの意向を多少は(妥協ではないと思うが)汲んだからだろうか?決してあの当時、メンバー間は水と油の関係ではなかったものの、やはり互い同士がどこかしら遠慮していた部分があったのかもしれない、あくまで推測の域ではあるが…。
危ういバランスと緊張感の中『パラダイス・ロスト』にてバンド自体は音楽性を高めて、その後はリーダーの平山色をますます強くしていったと言っても過言ではあるまい。

予想外の分裂劇から1年間の活動休止期間を経て1983年の2月に新たなベーシストに笹井りゅうじ、ドラマーに西田竜一を迎え5人編成となったノヴェラ通算4作目『聖域』はまさに待ち焦がれたとも言えるべき待望のジャパニーズ・プログレッシヴ史に燦然と輝く最高傑作だった。
セールスも評判も上々、当時のロッキンfやフールズメイト、マーキー誌でもこぞって大絶賛するが故に完成度の高い、イエスとジェネシスの血筋を見事に受け継いだ本格派のシンフォニック・プログレッシヴで“欧州浪漫”の唯一無比の世界がそこにあったのは言うに及ぶまい。
…であったが故に、『聖域』という大偉業を成し遂げた後、何でこの時点で漫画のイメージアルバムを手掛けなければならなかったのだろうか。
「最終戦争伝説」(第2弾も含めて)…これこそがノヴェラというバンドにとって唯一の方向性を見誤ったであろう、余計な遠回りに等しい失敗作だったと思えてならない(原作漫画含めてアルバムが好きな方々には申し訳ないが…)。
同じキング・レコード内部からの依頼要請とはいえ洋楽セクションのネクサスに対し、アニメのサントラや漫画のイメージアルバムを手掛けるスターチャイルドでは、月とスッポン…水と油のようなもの。
平山のインタヴューから知らされた時は「えっ!何で!?」という疑問を抱かざるを得なかったのが正直なところで、最低でも「最終…」の1作目に関してはアルバム・ジャケットにノヴェラの名は入れるべきではなかったと思うし、バンド名義の作品にすべきではなかったと思う。
当時どんなにノヴェラにのめり込んでいたとはいえ…自分自身さすがに「最終…」だけは手を出したくはなかったのが正直なところである。
後日、アニメや漫画が好きな友人が買ったということで聴きに行き、確かに2曲ほど良い曲はあったが、あとは殆ど覚えていない…ネクサスからの一連の作品と比較しても印象稀薄というのが率直な感想だった。
後年人伝に聞いた話だが…平山曰く「最終…」はバンドとしてやるべき仕事ではなかったし、余り乗り気ではなかったとのことである。
良い方に解釈すれば、新たなファン層の開拓=所謂少女漫画のファンをも更に獲得したかったみたいだが、悲しくも皮肉な話…やはり漫画のファンは漫画のファンでしかなかったのが現実である。
第2弾をリリースしたのはあくまで第1弾が好評だったからという理由だけでしかなかった。
さすが第2弾にあっては平山以外メンバーの殆どが間接的に関与するだけに止まった(ジャケットにもノヴェラの名前はクレジットされてなかった)。
前述で『聖域』という大偉業を成し遂げたと触れたが、もしもあの時点で「最終…」の仕事をきっぱりと断っていたら、あの5人のメンバーで『聖域』と並ぶ最高傑作がもう1枚出来ただろうに…そんなことを現在でも思い起こしては只々悔やまれるだけである。
「最終…」に余計な時間と才能を費やす位なら、(ライヴ・アルバムやソロ作品を出す前に…)もう1枚ネクサスで作品を手掛けて欲しかったと思うのは私だけだろうか?それは単に欲張りな我が儘なのだろうか?
当時文通していたプログレ絡みでノヴェラのファンだった東京の女友達の口からも「最終…」に関しては完全に否定的であった事を今でも記憶している。
そんなこんなで83年末に、ネクサスから久々にリリースされたピクチャー・ミニアルバム『シークレット・ラヴ』は「最終…」での失地回復、鬱憤を晴らすかの如くポップな作風ながらも気迫と気合いの篭った演奏は、ファンを安心させるかの様な会心の出来であったのが何よりも嬉しかった事を今でも記憶している。
新曲2曲は流石に少なめではあったものの廃盤シングル扱いだった“ジェラシー”と未発表曲の“怒りの矢を放て”が収録されたのはファンにとって最高の贈り物であった。
先の東京の女友達も「最終…」では落胆したが、『シークレット…』を聴いてホッとひと安心したと語っていた事を今でも鮮明に覚えている。

平山のファンタジック・ワールドの序章とでもいうべき『ノイの城』、永川のソロ・バンド『ジェラルド』といったプロセスを経て遂に第1期~2期の集大成とも言える2枚組ライヴ・アルバム『フロム・ザ・ミスティックワールド』はノヴェラのファンで本当に良かったと納得の行く内容で且つ、私を含めファン誰しもが夢見心地を思い描く会心の出来栄えであった。
イエスの『イエス・ソングス』、カンサスの『偉大なる聴衆へ』、ラッシュの『神話大全』…等と堂々と肩を並べる位のプログレ系ライヴ・アルバム不朽の名作といっても過言ではないと思う。
しかし…ロック業界不変の諺“ライヴ・アルバム後のバンドはサウンド・スタイルが大きく変ったり、バンド内部に不和が生じる”の通り、まさしくノヴェラとて例外ではなかった。
メインヴォーカリストの五十嵐、そしてジェラルドでの活動が好評だった永川の両名脱退のニュースは、山水館組の脱退そして「最終…」の時以上に衝撃的且つショックですらあった。
個人的に五十嵐久勝=アンジーさんはジョン・アンダーソン、ピーター・ゲイヴリエル、イタリアはバンコのジャコモおじさんと並んで好きなヴォーカリストだっただけに、尚更ショックだった…。
多分…大多数のノヴェラのファンはこの時点でバンドは終ってしまったものと確信していたに違いない。
個人的にもイエスやジェネシスの例だったらまだしも、この日本国内でアンジークラスの新たなヴォーカリストなんて絶対にいないと思っていたのも事実である(申し訳ないが、今でも絶対に無理だと思う!!)。
脱退当初、ロッキンfでのインタヴューで五十嵐が「僕とトシが抜ける事でテルの音楽性も新しく変わっていってほしいんです」と答えていたが、余計な詮索みたいで恐縮だが深読みすると、やはり「最終…」での一件が尾を引いていたのではと思うのだが…。
五十嵐と永川の脱退後、第3期ノヴェラのスタートから程無くして、平山はソロ第2弾『シンフォニア』(後に自身のプロジェクト・バンド名にもなるが)をリリースするが、ラストの収録曲“イノセンス”はもしかしたらファンタジーを追求してきた今までのノヴェラへの訣別という意味合いが込められたラヴ・ソングだったのかもしれない。
もしも永川のみの脱退だけであれば、『ノイの城』にも参加していた仙波基(後にペイル・アキュート・ムーンを結成)を迎えていれば解決出来たものの、それでは以前と何ら変わり映えがしないではないか…当時は平山自身とて相当悩んだに違いない。
自問自答の末、平山は安易な解決策よりも新しい血を導入して、たとえファンから非難されようともバンドを前進させるという茨のような困難な道を選んだ次第である。
個人的に言わせてもらえれば平山の当時の思い切った決断は現在でも大いに評価出来ると思う。


宮本敦、岡本優史を加えたノヴェラが残した『ブレイン・オブ・バランス』と『ワーズ』の2枚は当時は賛否両論を巻き起こしたものの、今だったら難なく聴ける秀作だと思う。
ただ…残念な事に、バンド的にはクオリティーを更に高めたとしてもファンの側が意識と認識を改めなければ失敗作にもなりかねない…そんな危うさをも秘めていた作品であるのも事実(「最終…」よりかは完成度は遥かに高いが)。
新メンバーを迎えてのレコーディング時に平山氏が「今度のノヴェラはモダンで都会的な作風に仕上がってます。今のノヴェラは以前のノヴェラとは全く違う新バンドなんです。『ロンリー・ハート』のイエスがそうであるように」と答えていたが、その言葉は良くも悪くも当時のファンの心理をも迷わせていた事と思う。
結局…ファンの側はノヴェラの新たな挑戦を“否”とし、多くのファンがノヴェラから離れていってしまったのは言うまでもなかった。
バンドの新たな挑戦がファンから拒絶され、結果としてノヴェラは1986年末に解散(自然消滅)してしまい、平山はその後はスローペースながらも、奥方の徳久恵美をヴォーカリストに据えてテルズ・シンフォニアへと活動を移行していく訳だが、個人的には『エッグ・ザ・ユニバース』『ヒューマンレース・パーティー』…とネクサスからリリースされたこの2作品は、あの第2期ノヴェラの『聖域』に次ぐ最高作であると今でもその気持ちに変わりは無い。
ノヴェラ解散後のメンバー各々の活動はもう既に御周知の通り、平山は自らのシンフォニック・バンドテルズ・シンフォニアへと活路を見い出し、永川はアースシェイカーのサポートメンバーと併行しジェラルドを率いて国内外問わず活躍の幅を広げ、五十嵐は自らのソロ活動並び難波弘之氏と結成したヌオヴォ・イミグラートで自らの音楽世界観を展開するも、1992年平山とかつての盟友大久保寿太郎の一念発起でノヴェラのかつての前身バンドだったシェラザード再結成に五十嵐と永川が呼応し(ドラマーには元ページェントの引頭英明が1stのみ参加し、2nd『All For One』以降から現在までは元スターレスの堀江睦男が担当)、2011年ノヴェラ時代のアンソロジー的な趣=シェラザード時代に書き下ろした曲の再演ともいえる『Songs for Scheherazade』まで順調に活動を継続するも、病に倒れた平山の長期活動休止でシェラザード自体も活動不能に陥り長きに亘って沈黙を守り続けていたが、平山が不屈の精神と気力で漸く復帰を遂げると同時期2017年の4作目『Once More』で不死鳥の如く甦り今日までに至っている。

現時点で時折思い出したかの様に、五十嵐と永川、そして第1期時代の高橋ヨシロウ、秋田鋭次郎、そして山根基嗣の5人で復活ノヴェラ名義としてステージ上で元気な姿を見せてはいるが、肝心要の平山自身はノヴェラ時代にけじめを着けているというべきなのか…表立ってノヴェラ名義での活動に顔を出す事無く、自らが前進する為に敢えて過去を振り返らず訣別したと取る向きが正しいのだろうか、今はただひたすらシェラザードのみの活動に専念し自己進化(自己深化)の歩みを止める事無く邁進している。
平山照継…彼自身夢織人でありながらも、努力型で勤勉なアーティストであるが故、今もなお自問自答を繰り返しながら自らの音楽人生を謳歌或いは模索しているに違いあるまい。
それは寡黙である彼自身が黙して語る事の無い…全ては神のみぞ平山のみぞ知るといったところなのかもしれない。
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