夢幻の楽師達 -Chapter 25-
今週の「夢幻の楽師達」は真冬の厳寒に負けないくらいの熱気を帯びている21世紀イタリアン・ロックから、70年代の抒情とリリシズム、そして邪悪でダークなイマジネーションを湛えたオカルティックなヘヴィ・シンフォニックの伝統と系譜を脈々と受け継ぎ、研ぎ澄まされたインテリジェントを纏った次世代の旗手にして唯一無比の存在と言っても過言ではない“イル・バシオ・デッラ・メデューサ”にスポットライトを当ててみたいと思います。
IL BACIO DELLA MEDUSA
(ITALY 2002~)


Simone Cecchini:Vo, Ac-Guitar
Simone Brozzetti:El-Guitar
Federico Caprai:B
Diego Petrini:Ds, Per, Key
Eva Morelli:Flute
21世紀今日のイタリアン・ロックを担う名匠達…今やベテランの域に達したとも言うべきラ・マスケーラ・ディ・チェラ始め、ウビ・マイヨール、ラ・コスシエンザ・ディ・ゼノ、イル・テンピオ・デッレ・クレッシドレ…etc、etcといった70年代から脈々と流れ続けているであろう、そんなイタリアン・ヘヴィプログレッシヴの伝統を21世紀の現代(いま)に伝えるべく、前述のバンド勢と並び気を吐き続けている新進気鋭の雄という称号すら相応しいイル・バシオ・デッラ・メデューサ(通称BDM)。
前出のラ・マスケーラ・ディ・チェラと同様、彼等もまた70年代イタリアン・ロック特有の抒情美とリリシズム、更にはかつてのオザンナ、ムゼオ・ローゼンバッハ、イルバレ、ビリエット、セミラミス…等が有していた邪悪なマインドにダークなイマジンの系譜をも脈々と受け継いだ、まさしく“メデューサの接吻”という意のバンドネーミング通り、もう如何にもといった感の正統派のイタリア人の創作するロックなるものを高らかに謳い上げていると言っても異論はあるまい。

世界的規模に席巻していたドリーム・シアターやクイーンズライクといったゴリゴリのプログレッシヴ系メタルや、同じイタリアのラプソディーといったインターナショナル寄りの系列に決して感化されたり染まる事も無く、彼等BDMはあくまで自国のアイデンティティーに根付いた気概とも言うべきプライドと精神を頑なに守りつつ、その精力的にして挑戦的な創作活動を保持しつつ今日までに至っている。
バンドのルーツは彼等の出身地にして同じ地名を冠したペルージャ大学の学友だった3人の若者達Simone Cecchini、Diego Petrini、そしてFederico Capraiを中心にスタートする事となる。
彼等3人もまたマスケラのファビオ・ズファンティと同様、70年代イタリアン・ロックが持っていた尊厳や伝統といった王道回帰と復権を目標に2002年9月正式なバンドネーミングで結成し、翌2003年にはDiegoの現在の奥方でもある女性フルート奏者Eva Morelliが加入し、程無くして数々のHM/HRバンドで腕を磨いてきた旧知の間柄のギタリストSimone Brozzettiが合流し、BDMはこうして栄光への階段の第一歩を踏み出したのである。
バンド結成以降彼等は数々のライヴイヴェントに参加する一方、デヴュー作に向けて度重なるリハーサルを積み重ねていき、翌2004年にサックスとアコーディオンのAngelo Petri をゲストに迎えて、自らのバンドネームを冠した自主製作による待望のデヴュー作をセルフリリースする事となる。
運命のダイス、カラス、天上界の神々と神殿、絞首台、道化師、黒衣の死神が描かれた何とも意味深なアートワークに包まれた、邪悪でカオス渦巻く独特の世界観は彼等の音楽性を雄弁に物語っており、カラスの不気味な鳴き声に導かれてブラックサバスないしクリムゾンの「21世紀の~」ばりのストレートなハードロックチューンで幕を開けるBDM流儀のヘヴィ・プログレッシヴに、次世代到来を待ち望んだヴィンテージ系嗜好の多くのファンが拍手喝采で讃えたのは最早言うまでもあるまい。
キーボード系の使用頻度が控えめな分、シンフォニックな重量感に欠けるきらいこそあれど、Simone Cecchiniの力強くも激しく、時折カンタウトーレばりのたおやかで故ジャコモおじさんをも彷彿とさせる側面をも垣間見せる表現力豊かな歌唱法に加え、妖艶でモデルばりの美貌と知性をも兼ね備えた紅一点の才媛Evaの存在感がBDMに華を添え、バンドとしても大いに助力・貢献したのは無論であろう。
同年12月には地元ペルージャにて開催された音楽フェスティバルのロック部門に於いて優勝を収めたのを契機に彼等は更なる大躍進へと歩み出し、セルフリリースながらも高いスキルに加えて録音クオリティーの素晴らしさを物語るデヴュー作の評判は、イタリア全土のみならず欧州各国にまで飛び火するまでそんなに時間を要しなかった。
年が明けて翌2005年1月、次回作に向けてのバンド強化の為、新たにヴァイオリニストのDaniele Rinchiを迎えた6人編成へと移行し、サックスのパートはEvaが引き続きフルートと兼任する事となり、イタリア国内外でのライヴ・パフォーマンスと新作の為の曲作りからリハーサルとレコーディングに多忙を極めつつも、同2005年12月にフランスのプロヴァンス地方で開催された国際的規模のユーロロックフェスでBDMは更なる脚光を浴びる事となり、その圧倒的な演奏と構成力に聴衆は歓喜と興奮に酔いしれ、彼等の次なる新譜への期待感は否応無しに高まりつつあった。
翌2006年、イタリアのヘヴィ・プログレッシヴ(+HM/HR系)専門レーベルのブラックウィドウからの打診で、セルフリリースのデヴュー作と込みで次回の新譜をウチから出さないかと持ちかけられた彼等は即決で契約を交わし、4年間もの録音期間を費やした待望の新譜『Discesa agl'inferi d'un giovane amante』(“若い恋人の地獄への降下”という意)なる意味深でダークなタイトル作を2008年ブラックウィドウよりリリース。
その同年にデヴュー作もブラックウィドウから再リリースされる運びとなり、両作品共に日本に入荷後瞬く間に評判と注目を集めたのは記憶に新しい(無論私自身もそのリアルタイムに入手したクチである)。
一見するとダンテの「神曲」にも似た地獄の冥府巡りをも彷彿とさせる恐怖と戦慄に満ちたホラーな意匠に、ややもするとヤクラやデヴィル・ドールに近いシリアス寄りな作風を連想するかもしれないが、邪悪なアートワークに相反して、どちらかというと(個人的な私見で恐縮だが)70年代のクエラ・ベッキア・ロッカンダの1stと2ndが持つクラシカルとヘヴィな両方面の良質なエッセンスが融合し、ビリエットが持つアグレッシヴで攻撃的なハードロックの要素が見事にコンバインした様な作風と解釈する向きが妥当であろう。
ハードロック寄りだったデヴューから格段の成長を遂げ、改めてプログレッシヴ・ロックであるという決意表明とも取れる2作目に於いて、Simone Cecchiniの妖しくも美しく伸びやかなヴォイスを始め、力強いギターとリズム隊の活躍の素晴らしさも含めて、何よりも特筆すべきは前デヴュー作でキーボードが控えめだった分、本作品ではドラマー兼キーボードのDiegoのハモンドとピアノの演奏がかなり前面に押し出されており、それに呼応するかの様に奥方Evaのフルートとサックスが絡んでくる辺りはVDGGかデリリウムを思わせ、新加入のDanieleが奏でるクラシカルなヴァイオリンも負けじと追随する絶妙な様は、あたかも70年代のイタリアン・ロックにタイムスリップしたかの如き錯覚すら覚えてしまう。

余談ながらも2作目のアートワークを見てふと連想したのは、漫画家永井豪の描く「デビルマン」の世界観に似ているということだろうか…。
前作でのファンタスティックとオカルティックが同居した独特のタッチのイラストレーションを手掛けたのは誰あろうベーシストのFederico Capraiである。
その彼が描くデヴュー作と2ndの画風からして、多かれ少なかれ日本のコミック…永井豪や石ノ森章太郎、果ては「ジョジョ」でお馴染みの荒木飛呂彦や、日本のジャパニメーションから影響を受けていると思うのだが如何なものであろうか(後日改めてFacebookの友人でもあるFederico本人に聞いてみたいとと思うが…)。
2ndの評判は上々でバンド自体も決して慢心する事無く精力的にライヴ活動をこなしつつ、多くのファンも次回作への期待が高まりつつあるさ中、4年後の2012年にここでちょっとした驚きのサプライズが発生する。
ドラマー兼キーボードのDiego Petriniを筆頭に、EvaとFedericoの3人を中心にギター、リズムギター、そして女性Voを迎えた6人編成で、あたかもBDMの別働隊的な新たなプロジェクトスタイルのバンドでもある“ORNITHOS(オルニトス)”が結成され『La Trasfigurazione』がデヴューリリースされたのである(ちなみにアートワークは言うまでもなくFedericoの手によるもの)。

かつての70年代イタリアン・ロックと同様に有りがちな…ややもするとBDMも御多聞に洩れずバンド内での音楽的意見の食い違いといった内紛、分裂、最悪解散という事も懸念され様々な憶測が飛び交う中、そんな根も葉もない噂なんてどこ吹く風の如く別働隊のオルニトスでの活動と同時進行で製作が進められていた3rd『Deus Lo Vult』のリリースに、世界中のファンは心から安堵するのだった。
Diegoに直接聞いた訳ではないが、多分にしてDiego自身の心の中に溜まっていたプログレッシヴへの更なる探求と欲求を一旦ガス抜きして、BDMでの活動を最良にする為にも大なり小なり自分の我が儘に近いプログレッシヴのスタイルを思い通り演ってみたかったという表れではなかろうか。

話はBDMに戻るが…決して仲違いをしたという訳ではないがヴァイオリニストのDanieleが抜け、バンドは再びオリジナルのメンツによる5人編成に移行しレーベルもブラックウィドウから離れる事となり、改めて再び初心に帰った気持ちで新作録音に臨んだ彼等は、自らのセルフレーベルを興して新たな新機軸を盛り込み、今までのオカルティックとミスティックなバンドイメージから脱却一転し、十字軍の少年兵の悲劇をモチーフにした従来では考えられなかった文芸路線+アカデミックな路線へとシフトする事に成功し、イタリアン・ヘヴィプログレの継承から更に一歩突き抜けた独自のスタイルと作風を開拓する事でバンドの持つイメージを上書きするかの如く別の側面と更なる可能性を見い出していく。
リリース当初はハードカバー文庫本風な限定版に近いジャケットワークであったが、再プレス以降はベーシストのFedericoが手掛けた、日本の人気漫画+アニメーションでもあるONE PIECEでお馴染み尾田栄一郎氏の漫画を思わせるアートワークに変わっている。
3rdアルバムリリースからBDMは再び充電期間に近い長期の休止期間に入り、各々が次回作の為の構想を兼ねて余暇を満喫する一方で、4年後の2016年メインヴォーカリストSimone Cecchiniの主導で先のオルニトスに次ぐ第二の別動隊バンド“FUFLUNS(フフランス)”を結成し、ジャケットアートそのまま『Spaventapasseri(案山子)』という一風ユーモラスながらもどことなくホラータッチな雰囲気さえ窺えるBDM系譜ならではの世界観を繰り広げている。

Simone Cecchiniの別動隊バンドの始動から2年後の2018年、BDM待望の通算4作目の現時点での新譜『Seme* (セメと呼ぶ)』のリリースは、前作の文芸大作風な路線から一転し再びバンド結成時の頃を彷彿とさせる原点回帰の初心に還ったダークでヘヴィなハードロックとVDGGやオザンナがコンバインしたかの如き質感を伴ったゴリゴリの硬派路線に立ち返った、まさしくロックのダイナミズムとパワーみなぎる重量感が徹頭徹尾に堪能出来る会心の一作となった。

本作品ではサウンドの強化を図る上で、もう一人の新たなギタリストSimone Matteucciを迎えたツインギターを擁する6人編成となっており、思えば6人所帯のプログレッシヴ・バンドなんて70年代から21世紀の今日まで伝統の如く脈々と流れているという、如何にもイタリアのバンドらしい微笑ましさを感じずにはいられない。
何よりもアートワークに起用された、何とも面妖で不可解…一見して人間の臓器の一部?はたまた得体の知れない昆虫(○キブリじゃないよね!?)の卵…或いは蛹なのか、様々な嫌な予感というか想像力を掻き立てる意匠ではあるが、リーダーのDiego自身ですらも“さあ…これ何だろうね?”ときっと思わせぶりにほくそ笑んでいる事だろう(苦笑)。
何はともあれ2004年のデヴューから今年で16年目という、様々な試行錯誤と暗中模索を重ねながらも、今やすっかり貫禄の付いたベテラン選手の域に達したBDMであるが、妥協や時代のトレンドとは一切無縁な絵に描いた様な我が道を迷う事無く邁進する雄姿に、あたかも一種の求道者にも似た面影をも重ねてしまうというのは言い過ぎであろうか。
彼等の進むべき道…この先如何なる道程と方向性へ展開してくれるのだろうか?
妖しくも禍々しい世界なのか?詩情溢れるロマンティシズムな美意識なのか?いずれにせよ我々はその姿を刮目し期待を胸に抱きつつ、これからも末永く見守り続けようではないか。
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