一生逸品 MAINHORCE
今月最終週の「一生逸品」、今回は若干視点を変えて一人の音楽家として…ミュージシャン…キーボード奏者といった多方面の顔を持つ不世出のアーティストでもあるパトリック・モラーツに着目し、彼が青春時代に携わった初めてのロックバンドとして世に躍り出た、栄えある伝説の名バンドとして21世紀の今もなお賞賛・支持されている“メインホース”に、今ひと度輝かしき栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。
MAINHORCE/Mainhorce(1971)
1.Introduction/2.Passing Years/
3.Such A Beautiful Day/4.Pale Sky/
5.Basia/6.More Teavicar/7.God


Patrick Moraz:Key, Vo
Peter Lockett:G, Violin, Vo
Jean Ristori:B, Cello, Vo
Bryson Graham:Ds, Per
個人的な話で些か恐縮だが…時々思い返すかの如くイエスの『リレイヤー』をライヴラリーから引っぱり出しては、改めて何度も々々々聴き繰り返してる度毎に、初代のトニー・ケイ始めリック・ウェイクマン、そしてジェフリー・ダウンズといったイエスというバンドの歴史に携わってきた名立たるキーボーダーに於いて、たった一作のみとはいえパトリック・モラーツほど異彩(異才)を放った逸材は他に類を見なかったのではと思えてならない。
ウェイクマンにはほぼ皆無だったジャズィー寄りなアプローチにパーカッシヴな鍵盤群の使い方…もうそれは明らかにモラーツ自身が触発されたキース・エマーソンへのリスペクトにも似通っていて、極端な話『リレイヤー』でのアプローチはさながらキースがリックを真似てイエス・サウンドを試みたらああなったというのは穿った見方であろうか…。
前置きはさておき…肝心のパトリック・モラーツである。
モラーツ自身の出自に関しては様々な方面や音楽誌で既に触れられているので、ここでは敢えて重複を避けておきたいところだが、もう一度改めておさらいするという意味合いで恐縮ではあるが、手短かに触り程度で留めておきたい。
1948年6月24日スイスのモアゲスで生を受けたモラーツは幼少の頃からクラシック音楽に慣れ親しみ、スクール時代の少年期から音楽の才能を開花させ、ピアノの上達と共にめきめきと地元で頭角を表すようになったという。
その一方でスイスの山々を大好きなスキーで滑走し転倒して大怪我したり、50年代に流行ったローラースケートで転倒し指を負傷したりと、おおよそピアニストには向いてないであろうやんちゃな側面をも覗かせていたというから、運命なんてどこでどう転ぶか解らないものである(苦笑)。
二度に亘る腕と指の故障やアクシデントで、ピアノを弾く事すらも絶望的だという周囲の声なんぞ何処吹く風、持ち前の負けん気で怪我をも克服し、以前にも増してピアノや音楽への情熱を高めていったのは言うには及ぶまい。
クラシック畑からジャズへ移行し、スイス国内外での様々なジャズ・フェスティバルに出演する一方、映画やテレビ、演劇といったミュージック・コンポーザーとして活躍し、モラーツ自身若かりし当時はヨーロッパ諸国でかなりの知名度と注目を集める事となる。
60年代半ば世界中を席巻したビートルズの余波はスイスにも波及し、モラーツ自身創作意欲の場をロック・フィールドへと活路を見い出し、学友だったJean Ristoriに旧知の間柄だったPeter Lockettを伴って、一念発起でブリティッシュ・ロック黎明期の熱気と興奮で色めき立っていたイギリスへと渡英。
渡英間もなく音楽的な方向性で意気投合したBryson Grahamを迎え入れ、1968年モラーツ最初期のロックバンドでもあるメインホースはこうして産声を上げる事となる。
ヨーロッパ諸国のみならずアフリカやインドでも演奏を含めた創作活動で既に高く評価されていたモラーツありきの甲斐あって、イギリスポリドールのフロントマンの目に留まったメインホースは程無くしてアルバム製作の契約を交わし、1971年バンド名を冠したデヴュー作で70年代ブリティッシュ・ロックシーンに躍り出る事となる。
時代の空気感を反映させながらも、サイケデリック、スペースロック、果てはアートロックといったエッセンスを内包しつつ、更なる一歩抜きん出たプログレッシヴでハードロック寄りな作風を打ち出して、トラディッショナルでどこか土臭さすらも感じられた同時期の英国産プログレッシヴ・アンダーグラウンドのバンドとは一線を画した、まさしく洗練性と斬新感すら垣間見える驚愕で画期的な内容を誇る一枚へと昇華させていったのは、もはや説明不要であろう。
モラーツを含めた新人同然の彼等が構築した初々しくも若々しい感性が発露したデヴュー作は、驚くべき事にポッと出のバンドのデヴューに有りがちな未熟で稚拙な感が微塵も感じられない位、文字通りの完全無欠な必聴必至な一枚へと仕上がり具合は上々であった。
モラーツのキーボードワークの素晴らしさも然る事ながら、PeterやJeanがメインの楽器から持ち替えて演奏するヴァイオリンやチェロの巧みさも、決して一朝一夕では成し得ない位に本作品の完成度に貢献し大いなる助力となったのは紛れも無い事実と言えるだろう(GGほどの技量や技巧的では無いにしろ、大なり小なりGGの方法論を意識していた部分はあったのかもしれない)。
怒涛の如く雪崩れ込むオルガン・ヘヴィロックで幕を開けるオープニング、エマーソンばりの早弾きハモンドに度肝を抜かされPeterの攻撃的でテクニカルなギターが実に痛快で小気味良いパワフルでアグレッシヴなロックンロールに、イエスの「錯乱の扉」で聴かれた緻密で複雑なキーボードワークとは作風から気色に至るまで根本的に全く180度違った印象をリスナーに与える事だろう。
しかしこれが何とも戸惑い云々といった概念を超越して実に素晴らしいのだから、モラーツの才能の引き出したるや奥が深いというか底知れない実力には感服する事しきりである。
オープニングの衝撃から一転してブリティッシュ然とした抒情的なオルガンにヴァイオリンとチェロとのアンサンブルが美しいメロウでクラシカルなスローバラードの2曲目に至っては、彼等のデヴュー当初からのキャッチフレーズともなった“オーケストラ・ロック”と呼ばれる所以がここにあると言っても過言ではあるまい。
攻撃的で重戦車ばりなドラミングに導かれユーライア・ヒープをも彷彿とさせるヘヴィ・ロックが存分に堪能出来る3曲目も実に印象的である。
クラシカルな中にプログレッシヴなデリケートさを醸し出したオルガンワークに加えて、Peterのギターの暴れっぷりといったら、メインホースというネーミングの如し暴れ馬のイメージをそのまま踏襲したバンドとしての面目躍如が際立った、時折聴かれるポップなメロディーラインが心地良いハードロックな秀作に仕上がっている。
2曲目に匹敵するであろう哀愁のリリシズムに満ちた4曲目のバラードも良い出来栄えである。
オルガンと弦楽器に加えてモラーツのチェンバロが追随し、ここでもPeterのギタープレイが冴えまくってて泣きのメロディーラインのツボを熟知した心憎い演奏には脱帽の一語に尽きる。
中間部のサイケでスペイシーなキーボードに、時代が持つ大らかな空気感というか雰囲気が楽曲に幻想的な色彩を添えているという点でも忘れてはなるまい。
ジャズィーな佇まいのエレピとアコギのせめぎ合いも聴き処である。
軽快で幾分都会的なセンスとグルーヴ感すら漂っているブリティッシュ・オルガンポップスが染み入る5曲目、“ダバダバダ~♪”という歌い出しに、その時代ならではのヴォーカルスタイルに微笑ましさすら感じられる。
ここでもサイケデリックでスペース・アートロックなオルガンが顔を覗かせる辺り、彼等は大なり小なりフロイドへのアプローチをも意識していたのだろうか。
収録されている全曲中唯一インストナンバーの6曲目は、フランス映画のワンシーンの劇伴でも使われそうな小粋でお洒落で、ややセンチメンタルで哀愁に彩られた甘いメロディーが胸を打つ事必至である。
ジャズの素養を兼ね備えたモラーツならではのオルガンとグロッケンシュピールが聴き手に不思議な余韻を与えてくれるのも特筆すべきであろう。
読んで字の如し…神々の領域に挑んだともいうべきラストの大曲に至っては、シンセサイザーとオルガンによる荘厳な中にも眩い神々しさと天上界の浮遊感すら想起させる音宇宙に、メリハリの効いたヘヴィでストレートなシンフォニック・ロックとの対比が絶妙な均衡を保っており、けたたましい雷鳴と共に幕を下ろすといったアルバムの大団円に相応しいドラマティックな神話世界を織り成している。
デヴューを飾るに相応しい最高の自信作を引っ提げてイギリスとヨーロッパツアーを敢行し精力的なギグをこなしつつも、モラーツを始めとするスイス人メンバーと唯一イギリス人のBrysonとの国籍上云々が絡んだワーキング・ビザを含めた諸問題がバンドを悩まし、滞在期間等のアクシデントやらすったもんだの挙句バンドとしての機能が破綻すると同時に、メインホースは人知れず敢え無く解散への道を辿る事となる。
余談ながらも一時期、演奏技量を巡ってやや自信過剰気味なモラーツやPeterとリズム隊との間でバンド内格差(早い話…モラーツやPeterの存在が鼻に付くといったところだろうか)から端を発した喧嘩別れでバンドが解散したなどとといった根も葉もない噂が囁かれていたが、後年になってそれは全くのデマである事が判明した事を付け加えさせて頂きたい。
ここからは駆け足ペースになるが、メインホース解散後のモラーツのその後の動向にあっては既に周知の通り、元ナイスのLee Jacksonからの招聘でジャクソン・ハイツに加入するも、ナイスの栄光よ再びというLee Jacksonの発案でBrian Davisonが呼び戻されモラーツを擁したトリオバンドのレフュジー結成へと至る。
推測ではあるがやはりLee自身心の片隅にEL&Pへの対抗意識があったのだろうか…。
一見ビージーズを思わせる商業路線風なジャケットさえ目を瞑れば、モラーツの才気が活かされた作品の内容自体非常に素晴らしくて非の打ちどころがないものの、リリース元のカリスマレーベルの予想に反して売れ行きは伸び悩みセールス面でも振るわなかったが故にレフュジーはたった一枚のアルバムを遺して解散。
その後はイエスに参加し『リレイヤー』で驚愕のプレイを披露し、モラーツ自身の知名度を一躍高めた契機へと繋がるのは言うまでもあるまい。
グレーを基調としたジャケットアートを含め作品自体賛否両論を呼ぶものの、モラーツなりに一生懸命精力的にイエスの一員として務めた事は大いに評価して差し支えはあるまい。
その後初のソロアルバム『The Story Of I』が高い評価を受けた事を機にイエスを抜ける事となったものの、当初は「お前さぁ、それって契約不履行じゃねえかよ!」とクリスに散々罵倒されたそうな(ちなみにモラーツ自身イエス内で一番ソリが合わなかったのはクリスだったそうだ)。



前出のソロ作品『The Story Of I』を皮切りに、イエス脱退後の1977年に2枚目のソロ作品『Out In The Sun』をリリースしキーボードソロイストとして確固たる地位を築き、このまま地道且つコンスタンスに自らの道を歩むのかと思いきや、今度はマイク・ピンダーが抜けた後釜としてムーディー・ブルースの一員として迎えられ、1981年アメリカで驚異的なメガヒットとなった『Long Distance Voyager』の成功へと貢献し、以後83年の『The Present』を経て1991年までソロ活動と併行してムーディーズに在籍し、バンドを離れてからは自身のソロ活動並びビル・ブラッフォードとのコラボレーション作品…等を経て今日までに至っている(ちなみに近年はドラマーのGreg Albanとのコンビによる2015年リリースの『MORAZ ALBAN PROJECT: MAP』である)。
ところでモラーツ以外のメインホースのメンバーの動向だが、学友時代から長年苦楽を共にしてきたJean Ristoriはバンド解散後モラーツのサポートメンバーに転向し、彼のソロ作品『The Story Of I』並び『Out In The Sun』のエンジニア兼プロデューサーとして参加。
現在はジャズ畑で、エンジニアリングとして多忙を極めているとの事。
ドラマーのBryson Grahamは後期のスプーキー・トゥースに参加した事で知られており、80年代以降も様々なジャンルの垣根を越えて今もなお精力的に多方面で活躍している。
惜しむらくは名ギタリストとしての栄光まで一歩手前までだったPeter Lockettの消息が未だに解らない事であろうか…。

モラーツの音楽人生に於いて数奇な運命を辿った70年代ではあったが、巷では未だに冷やかしにも似た“プログレッシヴ業界のお助けマン”などと揶揄されているものの、それこそが彼自身相応の天賦の才能があればこそと誇らしく思えてならない。
絶えず笑顔でマイペースを貫き通し我が道を邁進する彼の真摯な姿勢に、我々リスナーはこれからも心から惜しみない拍手を贈り続けて行く末を見守り続けていこうではないか。
最後に…もし仮に目の前にモラーツがいて“あなたにとってメインホース時代は?”と訪ねたら、「まあ…若かったからねェ…。」と一笑に付されるのがオチなのだろうか。
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