幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 27-

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 2月第一週目の「夢幻の楽師達」をお届けします。
 今回は北米大陸のヨーロッパと言っても過言では無いカナダより、凍てつく様な極寒の中で燃える様な熱情…或いは漆黒の闇の中を差し込む一条の光にも似たシンフォニックの雄“FM”に今再び焦点を当ててみたいと思います。

FM
(CANADA 1976~)
  
  Cameron Hawkins:key, Syn, B, Lead-Vo
  Nash The Slash:Electric-Violin, Electric-Mandolin, Per, Vo
  Martin Deller:Ds, Per, Syn

 北米大陸に於いて欧州的な感性とヴィジョン、そしてイマージュをも湛えた文字通り北米大陸の中のヨーロッパと言っても過言では無い国カナダ。
 広大な山脈を始め森と湖を有し、神秘的なオーロラといった、まるで北欧然とした佇まいを残し如何にもといった感の伝説と民族神話に彩られたお国柄を反映するかの如く、名実共に実力と技量を兼ね備えた幾数多もの名バンド…大御所のラッシュやサーガを筆頭に、モールス・コード、マネイジュ、アルモニウム、クラトゥー、単発組でもポーレン、オパス5、エト・セトラ、スロシェ、90年代から21世紀にかけてはヴィジブル・ウインド、ネイサン・マール、ミステリー…etc、etcが輩出されたカナディアン・プログレッシヴシーン。
 今回紹介されるFMも、一連のカナディアン・プログレッシヴに括られながらも、そのバンドネーミングに相応しいレトロSF的にして未来派感覚のスタイルを有する、一種異彩を放つ稀有な存在だったと言えまいか…。

 バンドの詳細なバイオグラフィーに関してはある程度判明しているところで、1976年にラッシュを輩出したトロントにてバンドの要とも言えるCameron Hawkins、そして初代ヴァイオリニストのNash The Slashによるデュオからスタートしている。
 Cameron自身少年時代から学校のオーケストラやトロントの室内楽団にて腕を磨き、ビーチ・ボーイズからビートルズ、果てはワルター(ウェンディー)・カーロスの“スイッチト・オン・バッハ”に触発されて、クラシカルとロックとの融合を試み始め、折りしもリアルタイムにクリムゾンやイエスといったプログレッシヴに触れた事が彼の人生を大きく左右する事となる。
 相方でもあったNashは、Toronto's Royal Conservatoryにて音楽を学び、ヨーク大学でナショナル・ユース・オーケストラに所属する一方、70年代に入ると彼自身が最初に所属したプログレッシヴ・バンド“ブレスレス”にてヴァイオリニストとして参加している。
 その後、CameronもNashも数々のバンドで経験を積みながら、1976年に参加したクリアなるバンドで二人とも意気投合しFM結成へと歩み出す。
 当初はドラムレスで、Cameronのキーボードとベース、Nashのエレクトリック・ヴァイオリンとエレクトリック・マンドリンのみといった変則スタイルで時折ドラムマシンを導入するといった具合で、地元トロントのラジオ局はじめテレビのオーディション番組に出演し、その異色にして出色なサウンドスタイルで話題と評判を得るまでに、そう時間を要しなかったのは言うまでもあるまい。
 彼等のサウンドはエレクトリック系の楽器とシンセサイザーを多用した独自の作風でありながらも、ジャーマン系にありがちな観念的な瞑想感云々は微塵も感じられず、ホークウィンドに触発された部分も散見出来るスペイシーで少々ダークなトリップ感覚を兼ね備えた、ジャズィーでクロスオーヴァー感を湛えた重厚なシンフォニック・ロックであると共に、何よりもポピュラーでヒット性も予見できるヴォーカルだった事が大きな強みだったのも特色と言えるだろう。
 そんな彼等の盟友にしてバンドの支援・理解者でもあった電子音楽家兼アートプロデューサーDavid Pritchardの全面協力の下、彼等は76年11月トロントのAスペース・アートギャラリーにてテレビ放映を兼ねた初のワンマンライヴを行い成功への切符を手にするのであった。
 こうして翌77年2月、David Pritchardの作品を通じて旧知の仲だったドラマー兼シンセサイザーのMartin Dellerを迎えてトリオ編成へと移行する。

 順風満帆で軌道の波に乗り始めた彼等は、カナダ国営放送CBCからの援助を得てメールオーダーのみの限定500枚プレスで実質上のデヴュー作に当たる『Black Noise』をリリースする。
 当初はモノクロ写真で撮られたマンホールの蓋がプリントされたという…下手なジョークや笑い話にもならない位、お世辞にもとても上出来とは言い難い地味な装丁だったとの事で、私自身ですらもまだ一度もお目にかかっていないのが何ともはやではあるが、良い意味で初出の音源として捉えれば貴重で高額なプレミア物ではあるが、悪い意味で捉えれややもすればタチの悪い冗談として見られかねないのが悔やまれる(苦笑)。
 本デヴュー作『Black Noise』は(お粗末なジャケットを抜きに)大いに評判を呼ぶと同時に即完売し、ライヴ活動でも各方面から絶賛され、このまま上り調子で行くのかと思いきや、バンドをここまで牽引し自らが為すべき事は全て出し尽くしたと悟ったNashがFMを抜け、彼自身も後年ソロ活動と併行して数々のプロデュース、ソロパフォーマーとしての道を見出していく事となる。
 デヴュー間もないにも拘らず突然の窮地に立たされたFMではあったが、その一方で大きな吉報が彼等の許に届けられた。アメリカ大手のプログレッシヴ専門レーベルPASSPORTからワールドワイド仕様でプレスされる事となり、紆余曲折の末に一介のカナダのローカルバンドから漸く世界進出への足掛かりを掴み、残されたCameronとMartinは再びバンド再興に奮起し、抜けたNashの後任獲得へと奔走するのであった。
 そのアメリカPASSPORT盤が皆さん御存知の『Black Noise』である。
 看板に偽り無しと言わんばかりな作品タイトルに相応しいダークなSF感覚を想起させる意匠は、まさしくFMというバンドカラーにとって面目躍如と言っても過言ではあるまい。
 

 ワールドワイド盤リリースと時同じくして1978年、バンドは共通の友人達の伝を通じて新たなヴァイオリニスト(兼マンドリン)のBen Minkを迎えて、次回作の為のリハーサルに入るものの、トロントのオーディオ関連会社の依頼で半ば急遽リハに近い形で、スタジオライヴ一発録り30分強という制限時間の中で製作された実質上の2作目『Direct To Disk』を極限られた流通経路でリリースする。
 前デヴュー作での経験を活かしたジャズロック的な側面が更に強く押し出されたインプロヴィゼーションに重きを置いたジャムセッション的な趣を感じさせつつも、前任のNashに負けず劣らずBenが奏でるヴァイオリンの流麗な旋律に、メンバーチェンジ後の遜色なんぞ一切無縁な彼等の真摯な創作精神と情熱に只々驚嘆する思いである…。
 あたかもハヤカワSFノベルの表紙を思わせる意匠に、個人的には『Black Noise』よりも彼等の世界観を代弁しているかの様で非常に好感が持てる。
    
 ちなみに余談ながらも…本作品『Direct To Disk』にあっては幾つかの逸話があって、当初こちらの方が幻のデヴュー作であると紹介された事もあって、私自身も目白にあった某プログレ廃盤・中古盤専門店にて店長からアナログオリジナルLP原盤を見せてもらった事があって、幻のデヴュー作とすっかり鵜呑みにしてしまった若さ故の青臭い経験があって、あの時点で参加メンバーのクレジットをちゃんとしっかり確認すれば良かったものの、これがいかんせん原盤そのものにメンバークレジットが記されてなかったものだから全く以って困ったものである(苦笑)。
 ネット時代の今だからこそこうして正確な情報が伝達され“これが彼等の2作目です”とハッキリ認識出来るものの、思い起こせばFMというバンド自体も誤認情報やら不明瞭な活動経歴云々で振り回され散々な憂き目を見たのではと思うと、時代の推移に隔世の感を覚えると共に、アーティスト側に非こそ無いが作品製作に携わった当時のスタッフ達の曖昧模糊で且つ適当で無責任な発言に改めて憤りすら禁じ得ない。
 僅かな収録時間と限られたプレス枚数であるにも拘らず『Direct To Disk』は売れに売れ、プレスの増産でジャケット違いの出直し作品が何度か出回ったりHeadroomと作品タイトルが変更されたりと、相も変わらず下世話な話題に事欠かない状況ではあったが、そんな余計な顛末なんぞ意に介さず彼等は創作活動と新作の為のリハーサルに没頭し、翌1979年ある意味に於いて頂点に達したと言わんばかりな最高傑作『Surveillance』をリリース。
 この時期アメリカのPASSPORTレーベル倒産を機に、3rdリリースはアメリカのアリスタが一手に引き継ぐ事となり、カナダでも大手のキャピトルがデヴュー作(ジャケットは変わらず)と3rdをセールする運びとなった。
    
 イエスの“究極”を思わせる様なイントロに導かれるオープニングの“Rocket Roll”を始め、『デンジャーマネー』期のUKを彷彿とさせる(やはり意識していたのだろうか)良質なポップスのセンスが遺憾無く発揮された好ナンバーが続き、売れ線を意識した作風を覗かせながらもプログレッシヴなエッセンスとメジャーな産業ロックとのバランスが上手く調和し非常にまとまった整合性すら感じさせる好作品に仕上がっている。
 メジャーな流れの作風を完成させ80年代に突入した彼等ではあったが、折しも時代はテクノ/ニューウェイヴ全盛期に差し掛かり、時代に抗いつつもプログレッシヴは様々なアプローチを試みて生き長らえているといった様相で、FMも御多聞に漏れずアメリカの大御所シナジーこと(後にゲイヴリエルのバックで大活躍する)ラリー・ファストのプロデュースで時代の空気に呼応した4th『City Of Fear』をリリース。
 70年代の名残と言わんばかりなメロトロンの大胆な導入を始め、最新鋭の機材を多用した幾分ニューウェイヴに歩み寄ったモダンなプログレを構築するも、もう如何にもといった感のジャケットの意匠が災いし、それが直接の原因とは言い難いものの古くからのファンや支持者の大半が離れていってしまったのは最早言うまでも無かった…。
 いやはやこれには私自身ですらも流石に手を出す勇気が無かったからね…。
 以降、FMは時流の波に乗った『Con-Test』や『Tonight』といった、おおよそプログレッシヴとは無縁に近い作風で立て続けに作品をリリースし新たなファンを得るものの、この当時…ドラマーの交代、ギタリストの加入、ヴァイリニストの交代とメンバーの流動は激しさを増し、オリジナル・メンバーのNashとジョイントで作品を発表したり…と混迷と紆余曲折、試行錯誤の繰り返しが続き、その間話題になった事といえばBen Minkが1982年にラッシュの『シグナルズ』で一曲ゲスト参加したという朗報が入ってくる程度だった。
 バンドとしての活動も長期のスパンが徐々に見受けられ、2001年以降からはテレビ始めフィルムミュージックの方面にシフトして、FMというバンドそのものも存在したりしなかったりといった状態が続いていた。
 しかし事態は急転直下し2006年に“NEARFest 2006”に招聘され、FMそしてCameron自身再びプログレッシヴへの情熱と創作意欲を取り戻し息を吹き返す事となる…。
 Cameronを筆頭にMartin Deller、そしてイタリア系アメリカ人Claudio Vena を迎えて往年の名ナンバーを披露し大勢の聴衆から熱狂的に迎えられ、その時の模様は昨年の2013年の夏にDVDでもリリースされているとのこと。こうしてFMの復活劇は見事大成功を収めプログレッシヴ・フィールドに再び返り咲いた次第である。
    

 こうして2015年、Cameronを筆頭にPaul DeLong (Ds) 、Edward Bernard(Violin, Viola, Mandolin, Vo)、Aaron Solomon (Violin, Vo) を迎えた4人編成で、あたかもデヴュー期の頃に立ち返ったかの様なSFマインド&テイスト満載な作風と意匠を思わせる、現時点での通算7枚目の新作『Transformation』をリリースし今日までに至っている次第であるが、21世紀というリアルタイムに再び息を吹き返した彼等がこの先私達にどんなサウンド・アプローチを打ち出し、インテリジェントで且つアイロニカル…或いはクールでスタイリッシュなスペイシーサウンドを聴かせててくれるのだろうか?
 いつかまた数年後にリリースされるであろう新譜に大いなる期待を寄せつつ、彼等が遥か遠いこの日本の地でライヴをする日もそう遠くないであろう…そんな見果てぬ夢物語を信じて止まない今日この頃である。
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Zen

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