一生逸品 IL PAESE DEI BALOCCHI
今週の「一生逸品」は、イタリアン・ロック史において「名作」「傑作」といった枠を超えた、硝子細工の様に繊細で詩情豊かな至高の一枚として誉れ高い“イル・パエーゼ・ディ・バロッキ”に、今一度輝かしき光明の灯を当ててみたいと思います。
IL PAESE DEI BALOCCHI
/Il Paese Dei Balocchi(1972)
1.Il Trionfo Dell'A Violenza,Della Presunzione E Dell'Indifferenza/
2.Impotenza Dell'Umilta'E Della Rassegnazione/
3.Canzone Della Speranza/4.Evasione/
5.Risveglio Visione Del Paese Dei Balocchi/
6.Ingresso E Incontro Con I Balocantt/7.Canzone Della Carita'/
8.Narcisismo Della Perfezione/9.Vanita'Dell'Intuizione Fantastica/
10.Ritorno Alla Condizione Umana


Fabio Fabiani:G
Marcello Martorelli:B
Sandro Laudadio:Ds, Vo
Armando Paone:Key, Vo
今を遡ること…キングレコードのユーロ・ロック・コレクション第8弾目に登場した本作品。
高校卒業前後に馴染みのレコード店にて出会ってから、もうかれこれと20年以上もの長い付き合いになるが、バロッキが遺した唯一の珠玉の名作とも言える一枚。自分自身の年齢と共に21世紀経った現在でも尚、古臭さを感じさせる事無く…勿論、その魅力と味わい深さ、映像的イマジネーションを想起させる感傷的で涙ものの旋律と魔法ですらも決して色褪せる事無く、一輪挿しの花の様な淡い色合いと白昼夢の如き儚さを湛えた愛聴盤として心の中に留めている。
それはあたかも…唯一童心に帰れる=子供の目と心で感じる事の出来る、憧れ、不安、夢、希望、悲しみ、訣別それら全てが凝縮された束の間の夢・御伽噺にも似通っている。
そして何よりも…彼等の音には陽光の下の陰りや、ひっそりと咲く草花の香り、木々の温もりすら感じ取れる。
この素敵で美しく物悲しい夢を紡いだ4人の楽士の詳しい経歴・バイオグラフィー、並びバンド結成の経緯から活動経歴に至るまでは、概ね1971年頃にまで遡る。
バンドの母体とも言うべき“UNDER 2000”名義で1971年、クエラ・ベッキア・ロッカンダの1stをリリースしたレーベルで知られるRCAイタリアーナ傘下のHELPより、現時点で確認されている唯一のデヴューシングル『Preghiera Dlamore/Tagilia La Corda』をリリースしている。
お恥かしい話…筆者自身は未聴なれど、イタリアン・ロックに詳しい筋からの詳細によると、2分弱という収録時間にも拘らず、本作品にも相通ずる怒涛の如きオルガンと泣きのギター、荘厳なるコーラスで埋め尽くされた、71年というイタリアン・ロック黎明期という時代に相応しい…所謂隠れた名作の一枚と数えても何ら異論はあるまい。願わくば、何らかのコンピレーション企画物CDでもあれば是非共聴いてみたいものである(苦笑)。
HELP時代での短い活動期間を経て、如何なる経緯でバンドを改名し、当時イ・プーを擁していたイタリアCBS傘下のCGDへと繋がっていくのかは、残念な事に私自信何も皆目見当が付かず解らず終いといったところであるが、1972年のアルバム・デヴューと前後した同年、地元音楽誌Ciao 2001主催の、あの有名なヴィラ・パンフィリのロック&ポップフェスにてバンコ、ニュー・トロルス、オザンナ、果てはクエラ・ベッキア・ロカンダ、セミラミス…etc、etc幾数多ものバンドと共に参加している事から、当時は(失礼ながらも)それ相応に鳴り物入りでかなり期待と注目を集めていたに違いない。
余談ながらも…もしも、その72年のヴィラ・パンフィリのロック・フェスが何らかの形で映像等が残ってれば、是非DVD化されて観てみたいのがファンの心理と思うのだが如何なものだろうか?
劇的で怒涛の如きオルガンに導かれ、いきなり更に劇的なオーケストラが入ってくる辺りが何ともドラマツルギーに満ちた映像感覚を彷彿させるところであり、ジャケット内側のフォトにしてもドキュメンタリー・タッチな雰囲気を醸し出している。


演奏の面においても誰一人として個人プレイに走ることなく、時にポエジーに時にブルーズィーに展開し、厳かに淡々と「子供達の国」そのものの世界観を損なう事無く物語は綴られていく。
聴き様によってはこれほど地味な印象を与えるバンドも当時のイタリアのシーンの中では珍しくもあり、時折挿入される男性ヴォーカルもどことなく悲哀で憂いな情感が色濃く出ていて、あのマウロ・ペローシにも相通ずるところも感じられ、あたかも置き去りにされたオルゴールを思わせるかの様に寂しげに木霊するチェレステの響きも落涙ものである。
本作品の締め括りに相応しい…夢の帰結を思わせるパイプオルガンの高らかなる響鳴は、現実の世界に引き戻された者達のやるせない悲しみそのものであろう。
メロトロンやシンセ系を一切使わずにしてバンド並びオーケストラ共々が渾然一体となって、それぞれに聴く人の郷愁とノスタルジィを呼び覚ます至福に満ちた逸品であろう。
オーケストラ・アレンジャーを務めるクラウディ・ジッツィも、バカロフとはまたひと味違った手法で作品の音像に奥行きを与えているのも注目である。
イル・パエーゼ・ディ・バロッキも栄華を誇った他のバンドと同様、御多分に洩れず結局のところ…後にも先にもこの御伽草子の如き素敵な一枚の音楽作品を遺し、バンドやメンバーそのものも表舞台から姿を消す事となった次第である。
更に余談なれど、一時期多くのイタリアン・ロックファンに知られた話…7年後の1979年にDisco Texなるマイナーレーベルからイル・パエーゼ・ディ・バロッキ名義のシングル『Fantasia E Poesia/Amore Per Gioco』(後年、本作品のCD化に際してボーナス・トラックにも収録された)がリリースされるも、実は後年それは偶然というか運命の悪戯とでも言うのか…たまたま同名のバンドであった事が判明し、今回取り挙げたイル・パエーゼ・ディ・バロッキとは何の所縁も関係もないとの事である。
ちなみに79年版バロッキは、プログレ色の薄い何とも甘く切ないラヴ・ロック路線であるとの事。
ラッテ・エ・ミエーレの『Passio Secundum Mattheum』、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ、トリアーデをお聴きになって心の琴線を揺さぶられた方や、幼少の頃に読んだ童話『鉛の兵隊』『幸福の王子』に心を揺り動かされた方なら、本作品の持つ世界に共鳴し涙する事であろう。
私自身、年齢を重ねる度毎に彼等の作品に接すると目頭が熱くなってなかなか最後まで聴き通せなくなるのが正直なところでもある。
ただ唯一言える事は、本作品こそ珠玉の名作の名に恥じない一枚云々といった枠を超越した、陽光降り注ぐイタリアの風土と情熱、オペラとバロックの国であるというアイデンティティーを体現した稀有な存在であったという事を決して忘れてはなるまい…。
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