幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 01-

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 8月に入り、いよいよ今日から本格的に新たなるステージで再開される事となった『幻想神秘音楽館』であるが、さながら今の心境は新たな創作世界の大海原へと航海に乗り出す船乗りといったところであろうか(苦笑)。
 来年10月からの正規編集ペースに戻るまでの期間とはいえ、過去のNECブログアーカイヴからの移転を兼ねた復刻セルフリメイクという…些か無謀とも思える挑戦ではあるが、根っからの書き手根性そしてライター気質故の性(さが)なのだから仕方あるまい。
 概ね過去12年間分の綴り貯めた「夢幻の楽師達」と「一生逸品」を、毎週…それも週2連載のペースで再び書き起こして復活させるのだから、我ながら思い切った英断を下したものだと思う。
 まあ…正直、至ってこういった事をするのは苦にならないしね。
 過去に綴った文章であるが故、若干のタイムラグが生じてくるのである程度修正したり加筆させて頂く事、どうか御容赦と御了承を願いたい次第である。

 さて、新装開店8月第一週目の再開第一弾は「夢幻の楽師達」である。
 リニューアル&リブートしようと決めた時点で、先ず絶対真っ先に取り挙げようと思い立ったのは…今もなお根強い熱狂的なファンを獲得し、70年代イタリアン・ロック黎明期の伝説的存在にして語り草となっている、巨匠の称号に相応しい神々しいオーラを纏った、イタリアン・ロック史にその名を刻む偉大なる巨人にして鉄人でもある“イル・バレット・ディ・ブロンゾ”、そして巨匠の称号に相応しいアーティスティックな才人にして芸術家でもあるGianni Leoneに、今再び栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

IL BALLETTO DI BRONZO
(ITALY 1970~)
  
  Gianni Leone:Key&Vo
  Lino Ajello:G
  Vito Manzari:B
  Gianchi Stinga:Ds

 時代と世紀を越えながらも、現在も尚決して色褪せる事無く…それはあたかも眩い至宝の如く神々しくも燦然と光を放ち続ける、70年代初頭のイタリアン・ロックシーンに於いて2枚の異なる作風と熱く迸るエナジーで、名作・名演・名盤の三拍子で文字通りイタリアン・ロック史に不動の地位を確立したと言っても過言では無いイル・バレット・ディ・ブロンゾ。
 そのバンドルーツは遡る事1960年代末期、商業都市ナポリ出身のバッテイトーリ・セルヴァッジ(BATTITORI SELVAGGI)なる当時新進気鋭のハード&ヘヴィ・ロックバンドが母体となっている。
 1969年バンドはイル・バレット・ディ・ブロンゾ(以後IBDB)と改名し、ライヴでの好評判を聞き駆け付けたRCAイタリアーナのフロントマンの目に止まり、同年めでたくRCAと契約を交わしシングル『Neve Calda/Cominciò Per Gioco』でデヴューを飾り、翌1970年にセカンド・シングル『Si, Mama Mama/Meditazione』と、そして第一期IBDBの集大成にして名作・名盤でもある1stアルバム『Sirio 2222』を引っ提げて、かの同じレーベルのトリップと同様名実共にイタリアン・ロック黎明期のシーンを席巻していったのは言うまでも無かった。
 その頃の第一期メンバーは、Lino Ajello(G)、Marco Cecioni(Vo,G)、Mike Cupaiuolo(B)、そしてGianchi Stinga(Ds)の4人編成で、バンドきっての才人にして要ともいえるGianni Leone(Key)はまだこの時は在籍しておらず、イタリアン・ロックファンならもう既に御存知の通り、当時Gianniはナポリを拠点に活動していたオザンナの前身チッタ・フロンターレのメンバーとしてDanilo、Lino、Lello、Massimoと行動を共にしており、オザンナへと改名する前後にElio D'Annaと入れ替わりにバンドから離れたのは有名な話(この顛末は後ほど再び触れる事にしよう)。 
          
 余談ながらも、もし、GianniがIBDBからの誘いを断りそのままチッタ・フロンターレに留まっていたとしたら、後々のオザンナのデヴュー作から『パレポリ』に至るまで、6人編成でとてつもなく凄まじい迷宮の如きカオス渦巻く、イタリアン・ロック史上驚愕の完成度を誇った名作となったのでは…と思うのだが如何なものだろうか?
 話は再びIBDBに戻るが、70年リリースの『Sirio 2222』の評判は上々で、ヤードバーズやツェッペリン影響下のブリティッシュナイズに裏打ちされたハードロックのフィーリングとサイケなポップスとの要素が渾然一体となった、まさしくその古き良き当時の空気感を象徴した極上の陶酔感が味わえるイタリアン・ロック黎明期の傑作とも言えるだろう。
 イタリア国内のクラヴ・ハウスや野外コンサートのみならず、イタリア駐留の米軍キャンプ地でのライヴをも精力的にこなしていたというのは今では語り草にもなっている。
 当時のアメリカ兵にしてみれば、イタリア=カンツォーネという変な先入観でしかなかったのが、IBDBを目の当たりにした途端度肝を抜き、それこそ時代の風潮…IBDBに熱狂しつつビール片手に葉っぱ(!?)を決めたりLSDでぶっ飛んでいた兵隊もいた事だろう(苦笑)。
 話は再び脱線するが…この当時70年代初期のイタリア国内のロックを巡る様々なエピソードで事欠かないのが、青春を謳歌する当時の若者文化と、政府のお偉いさん始めキリスト系政党の役人体質、官憲との差別・偏見との闘いは切っても切れない水と油みたいな関係で、イタリア始め英米のアーティストが野外でコンサートをするものなら、もう警官隊が発砲するやら催涙ガスやら鉄パイプ片手に応戦する若者達でとてもコンサートするどころの騒ぎではなかったと様々な文献や著書で記されており、かのレッド・ツェッペリンでさえもミラノのライヴで催涙ガスが漂う中演奏を断念した事を未だに根に持っており、ジミー・ペイジ曰く“イタリアなんて国名は二度と聞きたくもない!!”と憤慨していたから、この当時(全世界規模で)如何にロックがまだ市民権を得ていなかったが伺い知れよう。
     

 さて、クラシカル・シンフォなナンバー“Meditazione”を始め数々の名曲揃いの『Sirio 2222』リリース以後、理由は不明ではあるがIBDBは一時的な解散寸前の状態に陥ってしまう。
 翌1971年、残された2人のメンバーLino AjelloとGianchi Stringaの両名は、バンド存続危機の打開策として新たにナポリから呼び寄せたGianni Leone(当時、彼はチッタ・フロンターレに満足しておらず、或る晩自宅に帰宅するや否や、ギタリストのLino Ajelloからの電話でバンド加入を誘われたとの事)をキーボード兼ヴォーカリストに迎え、ローマから旧知のベーシストVito Manzariを加え、前作のハードロック路線から大きく変貌を遂げた作風で再びシーンに返り咲いた。
 翌1972年、RCAからポリドール・イタリアーナに移籍後、当時の世界的なプログレッシヴ・ムーヴメントの波を受け、緻密且つ複雑怪奇に構築された重厚なキーボード群と、漆黒の闇のエナジーが支配するヘヴィ&ハードロックとが見事にコンバインした、イタリアン・ロック史上に燦然と輝き続ける最高傑作にして後世に残る大名盤でもある『YS』をリリースする。
 作品名を“イプシロン・エッセ”と呼ぶ説もあれば、“イース”と呼ぶ説と諸説様々ではあるが、どちらも神秘的でミスティックな韻を踏んでいるからどちらが正しいとは言い切れないから困ったものである…。
 EL&P的なテクニカルで構築的なサウンドに、クリムゾンの凶暴・攻撃性が加味された作風というのも当たらずも遠からずといった感ではあるが、2バンドから触発されたエッセンスが彼等なりに結実昇華され、イタリアン・バロックの美意識と旋律が加わった事で、IBDBの独創性がより深みを増し更に際立ったと解釈した方が正しいだろうか。いずれにせよ渦巻くカオスが聴く者の脳裏に陰影と苦悩を想起させ、暗黒の極みに達した…何者も到達し難い領域にまで踏み込んだ唯一無比の孤高と神々しさがあるのだけは確かであろう。
 私自身、10代後半に『YS』の国内盤を購入し、初めて聴いた時の衝撃と戦慄は未だに忘れる事が出来ず、あのオープニングの不気味な女性スキャットが流れ出た瞬間、恐ろしくなって慌てふためき思わず後ろを振り返った位だ。お恥かしい限りではあるが…。
                    
 『YS』リリース以後、バンド自体は順風満帆な軌道の波に乗り、イタリア国内で一週間に3~4回ものライヴをこなし、このまま次回作へと移行するのかと思いきや、翌73年夏の国内ツアーのさ中突然Lino AjelloとVito Manzariの両名が脱退し、残されたGianniとGianchiはたった2人だけで残りのツアーの日程を消化し、その後実質上最終作にして傑作シングルとなる『Donna Vittoria/La Tua Casa Comoda』の名曲を残し、IBDBの活躍はここで一旦幕を下ろす事となる。ラストシングル自体Gianniの音楽性、コンポーザーとしてのスキルの高さが遺憾無く本領発揮された素晴らしい作品であるだけに何とも皮肉な話ではあるが…。
 
 バンド解体後、Gianniはラストシングルでのマルチプレイヤー(ドラムを除く)としての経験に自信をつけて単身アメリカに渡り、LeoNeroというソロアーティストとして改名し、1977年に1stソロアルバム『Vero』というシンフォニックでポップス性が加味された素晴らしい作品をリリースし、漸く自らの音楽性を開花させる事となる。
 4年後の1981年にはXTCやディーヴォに触発されたテクノ調ニューウェイヴのセカンドソロ『Monitor』をリリースし、以後2~3作品リリースした後、暫く表舞台から遠ざかる事となる。

 一方で第一期のギタリスト兼ヴォーカリストでもあったMarco CecioniはIBDBを脱退後、スウェーデンはストックホルムに移住し暫く創作活動しながらも画家として成功を収めて、現在はイタリアとスウェーデンを往復生活を送っている。尚、余談ではあるが、Gianni Leoneも一時期彼のサポートとしてスウェーデンに渡りプロデュース業を含めた創作活動に携わっていたとの事。
 Marco Cecioniの人望が厚いからなのか…第一期ベーシストのMike Cupaiuolo、そして第二期ベーシストのVito Manzariも彼の伝を聞き、現在はスウェーデンのストックホルムに移住している。ちなみに両名とも現在は音楽業界からきっぱりと引退している。 
 ちなみにIBDBの秘蔵音源に関して…現在確認出来るものとして、1990年にRCA傘下のRaro!レーベルから限定1500枚(内500枚は黄色のカラーレコード)でリリースされた未発表音源にして未CD化の『Il Re Del Castello』(名曲“Neve Calda”のスペイン語ヴァージョン入り)始め、1992年Mellowからリリースの『YS』の英語ヴァージョンCD、そしてつい最近リリースされた『On The Road To YS ...And Beyond 』にあっては、先に挙げた92年にMellowから『YS』の英語ヴァージョンとしてCDでリリースされた1971年のデモ・レコーディング+近年のライヴから未発ナンバーを含むボーナスを8曲加えた2012年見開き紙ジャケット盤として確認されている。
      

 ここからはスペースの都合上、やや走り々々な文章になってしまうが、どうかお許し願いたい…。
 時は流れて1995年、長きに亘るソロ活動を経て沈黙を守り続けていたGianniが再びIBDBとして表舞台に再び帰ってきた。当時イタリアン・ロック新進気鋭の若手として注目を一身に集めていたDIVAE(ディヴァエ)と融合したGianniが再びIBDB名義として復活を果たし、同年イタリア国内でプログレッシヴ・ファンジン“ARLEQUIN”主催のプログフェスに出演。その復活公演の模様は1999年にMellowレーベルより『Trys』というタイトルでライヴCD化され大いに注目を集めたのは記憶に新しい。(ちなみにディヴァエの95年のデヴュー作品にもGianniが参加している)。
 そして2002年にはGianniを筆頭に新たな布陣で待望の初来日公演を果たし、その圧倒的なライヴ・パフォーマンスで往年のファン層から新しいファン層に至るまで熱狂と興奮の渦に巻き込んだのは最早言うには及ぶまい。
     
 以後、単発的なサイクルでライヴ活動を継続し、極最近でも復帰したオリジナルギタリストLino Ajelloを迎えてライヴを行ったそうだが、ここで余談ながらも唯一ドラマーのGianchi Stingaに至っては、IBDB解散以降は全く音信不通と共にバンドからも完全に疎遠な状態になったそうな…。
 まあ早い話、人間長い間生きていれば人生様々な事があるという事なのであろうか…。
 その当のGianchi Stinga自身、1973年のバンド解散以後、彼もまたスウェーデンに渡りスウェーデン王立大学でデータ解析の学位を取得した後、現在はマレーシアに移住しネット・コンサルティング会社を経営しているとの事。
 オリジナルギタリストのLino Ajelloは、1973年にバレットから脱退後スウェーデンに渡り、以降はストックホルムで音楽スタジオを経営する傍ら、その後テネリフェでマジック・バーやロック・バーを経営しつつ、38年振りのIBDBへの復帰に伴い現在は故郷のナポリに戻って、現在の音楽界をどうにかしていきたいと意欲を燃やしている。
 ちなみにスウェーデン時代には、かのヨーロッパ(あの名曲“ファイナル・カウントダウン”でお馴染み)のギタリストのキー・マルセロとも交流があったそうだ。     

 一時期は音楽業界から身を引いたと揶揄されていたものの…そんな根も葉も無いデマや噂を払拭する位に、現在もなお精力的且つ現役バリバリで活躍しているGianniに対し私自身頼もしさを感じると共に嬉しさをも隠せないのが正直なところでもある。 
 更にはGianniを含めIBDBメンバーがこうして年輪を積み重ねつつ現在(いま)を力強く生きているという事に私達は心から敬服し、イタリアン・ロックの長きに亘る歴史に於いて何物にも代え難い偉大なる足跡と音楽財産を遺したことに今改めて大きな感謝と敬意を表さねばなるまい。
 思い起こせば昨年秋2日間限りではあったが、若手の新メンバーを加えたIBDB名義による待望の再来日公演を果たしたGianni自身、感動と興奮の渦で大盛況だったライヴの出来栄えに満足し、概ねの好評を博して幕を下ろした次第であるが、私自身この場を借りて述べさせて頂くが…ある一部の不埒な客層の輩がしでかした(やらかした)、疑わしい不遜な行動とステージのセットリストの無断拝借(それも窃盗に近い)並び、Gianniの私物の紛失行方知らずにはほとほと呆れたを通り越して一部の悪辣な客側のマナー違反には正直言葉を無くしたほどである…。
 Gianni自身せっかくの大切な来日公演だったにも拘らず、傷心を受けた事は察するに余りあると言っても過言ではあるまい。
 それでも前向きな姿勢で、またいつか日本で公演すると言ったGianniの弁に有難い気持ちと共に、頼もしさを感じつつ聴き手側である我々の心も救われた思いですらある…。
 IBDB(イル・バレット・ディ・ブロンゾ)…そしてGianni自身、そして彼の創作する音楽世界を愛して止まない私達を含めて、栄えある未来と幸福がこれからも末永く続いてくれる事を心から願わんばかりである。
 まさしく、決して終わる事の無いIBDBの伝説は…これから先の未来永劫後世にまで語り継がれていく事であろう。
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Zen

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