幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

夢幻の楽師達 -Chapter 33-

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 3月もいよいよ半ば、今週の「夢幻の楽師達」は70年代ジャーマン・ロックシーンの一時代を駆け抜けていった唯一無比にして孤高の音楽集団でもあった“ヴァレンシュタイン”に今一度栄光の光を当ててみたいと思います。


WALLENSTEIN
(GERMANY 1971~1982)
  
  Jürgen Dollase:Key, Vo
  Harald Grosskopf:Ds, Per
  Jerry Berkers:B, Vo
  Bill Barone:G

 長きに亘るユーロピアン・ロックの歴史に於いて、70年代に於いてその頭一つ飛び抜けた音楽性と創造力でイタリアのシーンと共に人気を二分してきたドイツのシーン。
 ジャーマン・ロックを語る上で必ずといって良い位に引き合いに出されるであろう、複雑怪奇に絡み合う雑多で様々なキーワード…サイケデリック、アヴァンギャルド、エレクトリック・ミュージック、トリップミュージック、クラウトロック、メディテーショナル、エクスペリメンタル、ドラッグカルチャー、LSD体験、フラワームーヴメント、ヒッピー&コミューン、ラヴ&ピース、etc、etc。
 各方面でもう既に何度も語られてきた事であるが、ジャーマン・ロックはそのドイツ人らしい国民性と感性が反映された、知的探究心と観念の音楽そのものと言っても過言ではあるまい。
無論ドイツのロックシーンは決してそれらの精神的解放と革命を謳った系統ばかりだけではなく、ゲルマンのロマンティシズムとリリシズム溢れるシンフォニック・ロック、或いはブリティッシュ・ハードロックからの影響と流れを汲んだ大御所スコーピオンズやハロウィーンを輩出したジャーマンHR/HMとて、ジャーマン・ロック史の一時代を形成してきた上で見過ごす訳にはいかないであろう…。

 70年代初頭、ジャーマン・ロック黎明期ともいえるその幕開けに呼応するかの如くその独特なサウンドカラーと個性、創造力を彩った3つのレーベルが産声を上げた。
 耳のマークで数々の名作を世に送り出したOHR(オール)、そのオールに相反する音楽性に加えジャーマントラディッショナルとフォークタッチで牧歌的な素晴らしい作風を誇り、後年のシンフォニック系にも相通ずるキノコのマークでお馴染みのPILZ(ピルツ)、そしてオールとピルツそれぞれ良質なエッセンスを吸収し融合した短命ながらも数々の忘れ難い作品を輩出したKOSMISCHE(コスミッシェ)こそが、後々のジャーマン・ロックの根幹を位置付ける役割を担い一時代の形成にひと役買った事は最早言わずもがな周知の事であろう。

 そんな時代の潮流と追い風を受けるかの様に、1971年…当時アートスクールの学生だったJürgen Dollaseを筆頭にドラマーHarald Grosskopf、オランダ人ベーシストJerry Berkers、そしてアメリカ人ギタリストBill Baroneの4人編成でヴァレンシュタインの前身でもあるBLITZKRIEG(ブリッツクレイグ=電撃戦)なるバンドが結成される。
 バンド結成以降数々のライヴイヴェントに参加し腕と経験を磨きつつ、幼少期からバッハやベートーヴェンといった自国のクラシックに馴れ親しみ音楽教育に研鑽していたJürgenのリリカルで瑞々しいピアノを主軸としたその独特な音楽世界観が発足間もないPILZレーベルの関係者の目に留まり、まるで互いに引き合うかの如くバンドとレーベルサイドとの共鳴と思惑が一致し程無くして契約までに辿り着けたものの、折しもイギリス国内でBLITZKRIEGなる同名バンドが既に存在していたが為、バンドサイドは急遽シラーの戯曲でオーストリア傭兵隊長の名前で物語の主人公でもあるヴァレンシュタインへと改名し、同年末にかけてレコーディングされたデヴュー作はかつてのバンド名だった『Blitzkrieg』を冠してリリースされる運びとなる。
             
            Albrecht Von Wallenstein (1583-1634)

 英語の歌詞をメインにJürgenの素晴らしいキーボードワークに加えて、ギタリストBillのアメリカ人ならではのヘヴィでゴツゴツとした硬質なギタープレイとが相まって、フォークタッチなカラーが謳い文句なPILZレーベルの作品には珍しく幾分ハードロック寄りな作風に仕上がっており、当時ドイツ国内のバース・コントロール、ネクター、フランピーといったジャーマン・ハードロック黎明期のバンドに準ずるところが多々感じられる。
    
 デヴュー作が概ね好評でドイツ国内サーキットでも既に大きな実績を得ていた彼等は、翌72年早々と2作目の製作と録音に録りかかる事となる。
 全4曲大作指向だったデヴュー作に於いて彼等自身も大なり小なり抱いていた不満とも言うべき散漫な感と粗削りな編集を改めて反省材料とし、2作目の録音では時間をかけて編集を積み重ね作風と曲をきちんと整然にまとめて、より以上に親近感を抱かせる傑作へと昇華させていった。
 そして同年夏にリリースされた2ndは『Mother Universe』として世に送り出され、初期ジャーマン・シンフォニックの傑作としてバンド共々確固たる地位を築き上げ、ドイツ国内でのヴァレンシュタイン人気を決定付ける契機となったの最早言うには及ぶまい。
 ドラマティックで時に感傷的な激情すら思わせるピアノにメロトロン、オルガンを奏でるJürgenの素晴らしさはデヴュー作以上に冴え渡り、Jürgenの曲想を支えるメンバーの好演も見逃してはなるまい。
 ちなみに今では有名な語り草となっているが、ジャケットワークに起用された高齢の御夫人の写真のモデルはバンドリーダーでもあるJürgenの祖母で撮影はドラマーのHaraldによるもので、何ともアットホームな温もりを感じさせる手作り感が微笑ましい限りである。
 余談ではあるが、2ndリリースと前後してJürgen自身が主宰するコミュニティー“オルガニザツィオーン・ヴァレンシュタイン”が発足したのもちょうどこの頃で、音楽のみならず芸術関連、文学、科学の分野にまで幅広く活動範囲を広めていき、昨今のSNSといったネットワークツールが無かった
当時、もう既にそれらの先駆的な一歩を試みていたというのが何とも驚きでもある。
 下世話な推測かもしれないが、奥ゆかしくも意味深なタイトルに加えてJürgenの祖母を起用した素朴な感のジャケットデザインに、多少なりともPILZレーベル側の意向にバンドサイドが沿ったと思えるのは私自身の考え過ぎであろうか…。
          
 『Mother Universe』はドイツ国内外でも高い評価を受け、当時フランスの音楽誌BESTでも月間ベストアルバムに選出され、ヴァレンシュタインも意気揚々と志を高めていくものの、同年秋にオリジナルメンバーだったベーシストのJerry Berkersがソロ活動に専念する為バンドを脱退する(ちなみにJerryのソロ作品にはJürgenとBillがバックで参加している)。
 残念な事にソロに転向したJerry Berkersは後年LSDの過剰摂取で端を発した精神的な疾患に悩まされ、ソロ作品を録音中に病から併発した不慮な事故がもとで他界してしまう、改めて合掌。
 Jerry脱退後ヴァレンシュタインは後釜ベーシストを入れず、暫くの間はトリオ編成で活動しアリス・クーパーばりのド派手メイクでドイツ始めスイス、フランス国内のツアーサーキットを敢行し大きな話題と評判を呼ぶ事となる。

 翌73年ともなるとヴァレンシュタインを取り巻く環境が大きく動き出し、先にも触れたKOSMISCHEレーベルが主催する“アシッド・パーティー”なるセッション活動に招聘されPILZとの契約満了と時同じくしてKOSMISCHEへの移籍を快諾。
 新たな空気を取り入れるべく心機一転後釜ベーシストとしてDieter Meierを迎え、更にはヴァイオリニストにJoachim Reiserを加えた鉄壁を誇る5人編成となって、同年『Mother Universe』と並ぶジャーマン・プログレッシヴ史に燦然と輝く金字塔とも言える最高傑作『Cosmic Century』をリリース。
    
 製作環境が新しくなった事が幸いしたのか、今まで培われた経験と実績が思う存分如何無く発揮され、Jürgenそしてバンドの思いの丈がギッシリと詰め込まれた縦横無尽に繰り広げられる幻想音楽物語は、まさしくアナログLP時代のA面丸々費やした“The Symphonic Rock Orchestra”と銘打った組曲大作を含め全収録曲のどれもが一切の無駄や妥協が微塵も感じられず、Jürgenのキーボード群の活躍に加えて、Billの力強いギターに、新加入のJoachimの目を瞠る様な素晴らしいヴァイオリン、強固なリズム隊といった全てが集約され渾然一体となった燻し銀の如き至高と珠玉の芸術品に相応しい一枚に成り得たと言っても異論はあるまい。
 勿論、芸術性が光る中にも程良いポップスなセンスと垢抜けたような明るい開放感、力強いロックな手応えも忘れてはなるまいが…。

 鳴り物入りでリリースされた3rd『Cosmic Century』は国内外でも高い好評価と上々の評判を呼び鰻登りにセールスを伸ばしていくものの、レーベルの思惑とは裏腹にバンドサイドではベーシストのDieter Meierがリリース直後に脱退するといったゴタゴタが巻き起こっており、予定していたツアーがままならない状態に陥ってしまった。
 程無くして後釜ベーシストにJürgen Plutaを迎えるも、メンバーの心身の疲弊が積み重なってしまったが為にヴァレンシュタインは半年近く活動を休止。
 その間Jürgen Dollase発案によるプログラム・ミュージックなるアイディアを基に翌74年通算第4作目にしてプログレッシヴ・ロック時代最後の輝きを放つ『Stories, Songs & Symphonies』をリリースし、ロック、クラシック、ジャズとの融合を試みるというコンセプトを明確に打ち出したものの、ファンタジックなアートワークに相反するかの如く休止期間が災いしたのかバンドのパワーダウンは否めないといった有様で、セールス的にも伸び悩みバンド結成以来の挫折と失敗を味わってしまう。
    
 決して出来は悪くないがデヴューから前作『Cosmic Century』までに感じられた豪快さと重量感に欠ける嫌いは正直頷けよう…。
 肯定的に綴ってしまえば『Cosmic Century』ばりの高度な完成度には及ばないが、楽曲の繊細さと実験的な試みばかりが際立っている佳作と言った方が正しい向きなのかもしれない。

 4作目の商業的失敗に加えて同時期に於いて不運にもKOSMISCHEレーベルが経営難を含めた諸事情で消滅するという憂き目に遭い、ヴァレンシュタインというバンドとしての結束力は徐々に綻び始め、翌75年長年苦楽を共にしてきたドラマーのHaraldとギタリストのBillが揃って脱退し、ヴァレンシュタインのオリジナルメンバーはとうとうバンドリーダーJürgen Dollaseだけとなってしまい、Jürgen自身もバンドの建て直しを図るために止む無く一時的な解散を下す事となる。
 翌76年後任のドラマーとしてNicky Gebhard、ギターにGerb Klockerを迎えるものの、バンドの方向性に疑問を抱いていたヴァイオリニストのJoachim Reiserが抜けてしまい、最早この時点においてヴァレンシュタインはプログレッシヴ・バンドから訣別していたと言っても異論はあるまい。
 Jürgen Dollase、Jürgen Pluta、Nicky Gebhard、Gerb Klockerの4人編成で77年新生ヴァレンシュタインが始動し、過去での実績が買われて大手のRCAに移籍後かつてのプログレッシヴ期の名残を留めつつもエレクトリック・ポップ色を強めた『No More Love』をリリース。
 皮肉にもSF的でポルノチックなアダムとイヴのフォトグラフを起用したジャケットワークが、当時かなりの話題を呼んだとの事だが、いかんせんここでの新生ヴァレンシュタインはもはや別バンドとして捉えた方が賢明だと思う。
 以後、Jürgen Dollaseを残しメンバーの総入れ替えやら増減を繰り返し、当時世界的規模で席巻していたディスコティック路線を意識した『Charline』(1978 )を始めとし、『Blue Eyed Boys』(1979 )、『Fraüleins』(1980 )、『Ssssssstop!』(1981 )と1982年の解散に至るまでコンスタンスに作品をリリースするも、よもやヴァレンシュタインはゲルマンのロマンティシズムやリリシズムを完全に捨て去った、シングルヒット連発のコマーシャリズムと商業路線重視のポップスバンドとして成功を収め、かのスコーピオンズと共にヨーロッパツアーをサーキットするが、ラストとなった『Ssssssstop!』がセールス不振で不発に終わり、Jürgen Dollase自身もミュージシャン活動からきれいさっぱり足を洗い引退を宣言し、バンド結成から11年後の1982年ヴァレンシュタインはその長きに亘る活動から静かに幕を下ろす事となる。

 ヴァレンシュタイン解散後のメンバーのその後の動向として現在判明している限りでは、先ず音楽的リーダーでもあったJürgen Dollaseは音楽を含めた創作活動から完全に退き、現在はドイツ国内にて料理評論家として名を馳せて大成功を収め、今もなおグルメ業界の第一線の現役として精力的に東奔西走の日々を送っているとの事。
 ヴァイオリニストのJoachim Reiserは現在メンヒェングラートバッハにて居を構え、そこの地元音楽学校にてヴァイオリン講師として今もなお勤続しており、80年代半ばにはロックとオーケストラとの融合の為に多数ものスコアを書き下ろし、それら一部の楽曲が母国ドイツの音楽出版社による編さんで楽譜集として刊行されており、営利目的では無い流通手段を通じCDとしてもリリースされている。
 ちなみに一部ではJoachim Reiserは多量のアルコール摂取による健康障害で亡くなってしまったと報じられているが、それは全くの誤りで…極度のアルコール依存症に陥ったのはJoachim Reiserではなく2代目ベーシストのDieter Meierであって、1986年にメンヒェングラートバッハの病院で逝去したというのが正しい。
 アメリカ人ギタリストのBill Baroneはヴァレンシュタインから離れた後、母国アメリカに帰国しそこでいくつかのバンドでプレイした後、フィラデルフィアにて土建業の重機関係の仕事にも携わる様になり今も何人かの社員を雇って忙しい日々を送っている。
 ちなみにBill自身、初代ドラマーのHarald Grosskopfとは現在も親交があり、インターネットを経由して互いに近況の連絡を取り合ったり、ドイツとアメリカを行き来している間柄であるとの事。
 その初代ドラマーHarald Grosskopfと3代目ベーシストのJürgen Plutaの両名が現在もなお音楽業界の第一線として活躍しており、特にHarald Grosskopfにあってはヴァレンシュタインから離脱後はクラウス・シュルツ始めアシュラに参加し、80年代全般ともなるとニューウェイヴ関連やテクノポップの分野にて後進の育成やらプロデュース業に貢献し、21世紀の今もなお併行して自身のソロ作品で精力的に活動しているのが嬉しい限りでもある。

 ヴァレンシュタイン解散から早30年以上が経過し、プログレッシヴ・ロックを巡る世界的規模の情勢も大きく様変わりしている昨今、今や外野的な立場としてプログレッシヴのOB的な視点で、現在(いま)を生きる21世紀のプログレッシヴの担い手に対し、かつてヴァレンシュタインのメンバーだった彼等の目にはどう映っているのだろうか…。
 もし、仮に何らかの機会でSNS等のネットにてかつてのリーダーだったJürgen Dollaseに、開口一番“『Cosmic Century』はプログレッシヴ・ロックの歴史に残る名盤で最高傑作でした!”と切り出したら、“あれはもう過去の事”と一蹴ないし苦笑されるのがオチなのだろうか…。

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