一生逸品 AMENOPHIS
今週の「一生逸品」は四季折々の表情を見せるドイツのロマンティック街道…或いはゲルマンの森をも彷彿とさせる、荘厳にして崇高なる幻想世界を高らかに謳い上げたジャーマン・シンフォニック随一の抒情派の申し子と言っても過言では無い、近年奇跡ともいえる復活劇で各方面から今再び注視されている“アメノフィス”に改めて焦点を当ててみたいと思います。
AMENOPHIS/Amenophis(1983)
1.Suntower
2.The Flower
a)The Appearance
b)Discovering The Entrance In The Shadow Of A Dying Bloom
3.Venus
4.The Last Requiem
a)Looking For Refuge
b)The Prince
c)Armageddon


Michael Rößmann:G, Key
Stefan Rößmann:Ds, Key
Wolfgang Volmuth:B, G, Key, Vo
イタリアと共にユーロロック人気の片翼を担ったと言っても過言ではないドイツのシーン。
先般綴った「夢幻の楽師達」のエニワンズ・ドーター編でも触れているが、70年代のドイツが東西に分断されていた西ドイツ時代。
当時ジャーマン・ロックとひと口に言っても、その全容はアヴァンギャルド+エレクトリック系を始め、サイケデリック、メディテーショナル、アシッド、トリップ、或いはプログレッシヴの定番ともいえるシンフォニック、果てはストレートなジャーマン・ハードロック…等といった多岐に亘る、まさしくイタリアに負けず劣らずな百花繚乱の様相を呈していたのは言うに及ぶまい。
その一種独特なコミューンやらヒッピーカルチャーにも相通ずる異彩と個性を放っていたジャーマン・ロック栄光の時代も、70年代後期から80年代にかけて世界的規模を席巻していたディスコミュージックやヒットチャートを賑わす英米の産業音楽といった余波を受けて、ドイツも御多聞に漏れず多くのレコード関連・音楽配給会社が大幅に路線を変更し、アーティスト側もある者は時流の波に乗ってテクノに移行したり、売れ線狙いのポップ化に路線変更したりと、世界的に成功を収めていたタンジェリン・ドリームやカン、確固たる自己プロデュースとレコード会社との連携体制でシンフォニックの一時代を築いたエニワンズ・ドーターを例外として、ジャーマン・プログレッシヴはその大半が停滞・低迷に瀕した状態で、多くのシンフォニック系のプログレバンドがマイナーレーベルと共にアンダー・グラウンドへと移行し、自主リリースという道に甘んずるしか術が無い厳しい冬の時代を迎えていたと言っても過言ではあるまい。
無論、それはそれで大手レコード会社から干渉・制約される事無く、機材にスタジオ、運営からマネジメント、果ては金銭関係といった経済面等でハンデこそ抱えていたものの、セルフプロデュースながらも自由な雰囲気と環境でそれ相応に素晴らしい作品が世に輩出された事もまた事実ではあるが…。
アイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、マディソン・ダイク、セレーネ、タンタルス、ヴァニエトゥラ、エデン、ルソー、イスカンダー、アナビス…等といった80年代前後を境とする秀逸な存在に追随するかの様に、今回本編の主人公であるアメノフィスもジャーマン・アンダーグラウンドシンフォニックという時代の潮流の真っ只中を生き抜いた、ほんのひと握りの輝く原石にも似た崇高なまでの“匠”と言えまいか…。
バンドの始まりは1977年にドイツ南西部の地方都市で、音楽と共に青春時代を謳歌していた二人の若者Michaelと弟のStefanによるRößmann兄弟と、その学友だったWolfgang Volmuthの3人で結成したスクールバンドから幕を開ける事となる。
翌78年エジプトのファラオの一つからヒントを得てバンド名を正式にアメノフィスとし、当時の彼等の憧れでもあったイエス、ジェネシス、キャメル、果ては同国のグローヴシュニット、当時から既に話題をさらっていたデヴュー前のエニワンズ・ドーターに触発された純粋無垢なまでのプログレッシヴ・サウンドを志す事を決意する。
選任キーボーダーが不在で、メンバー全員がキーボードを兼任するという変則トリオ編成で、ライヴの時にはサポートKeyやサイドギターを迎えて演奏に臨んでおり、曲作りやアイディアこそ豊富に備えていたものの、まだ学生であるという身分に加えて肝心要の機材があまりに貧弱だった事もあって、全世界共通なれど彼等もまた御多聞に漏れず借金をして楽器並び音響・録音機材関係を補充強化して、以後バンドメンバー各々が音楽活動に勤しむ一方で借金返済の為のバイトに明け暮れていたそうである(苦笑)。
地道な音楽活動が実を結び、学校内での演奏活動から徐々に街のイベントやら祭典、小規模ながらも様々なロックイベントでも頻繁にプレイする機会を得た彼等は、音楽活動とアルバイトの二重生活を送り苦労を重ねながらも次第に演奏とアレンジ面でめきめきと力を付けて、そろそろちゃんとしたアルバムとしての形を実現させねばと本腰を上げ始める。
事実この時期に於いて資金繰りといったバンドの運営面でもかなり困窮・逼迫した状況で、下手すれば機材の売却という憂き目をも避けられない止むに止まれぬ裏事情もあったが故に、彼等は薄氷の如くギリギリな綱渡りのやりくりの中で、ここで何としてでもアルバムである程度の成功を収めねばと躍起になっていたというのも正直なところだった。
そして迎えた1983年、彼等自身のセルフプロデュースでオルガン奏者とフルートのゲスト2名を迎えて自主リリースされたバンド同名のタイトルを冠したデヴュー作は、セルフリリース系のジャーマン・シンフォが俄かながらも活気付いていた時期に、幸運にもめでたく流通に乗せる事が出来た次第である(但し…日本に入ってきたのは遅れること4年後の1987年であるが)。
満月の夜に舞う蝙蝠の如き幻獣と燭台を思わせる炎の塔(!?)が描かれたミステリアスな意匠に包まれた彼等の初出作は、彼等自身が影響を受けたジェネシスやキャメルといった大御所へのリスペクトを含め、先人達への返礼とバンド自らの回答にして憧憬と敬意の念が込められた、デヴューながらも音楽性の総決算とも取れる意味合いすら感じられよう。
インストナンバーである冒頭1曲目は、エニド或いはイタリアン・ロックを思わせる様なクラシカルで端整な美しいピアノの調べに乗って、荘厳なソリーナ系のストリングアンサンブルと抒情性を帯びた泣きのギターが覆い被さって、軽快なメロディーラインの中にリリシズムとロマンティシズム溢れる曲調へと転じ、スパニッシュ調のアコギが矢継ぎ早に綴れ織りの如く奏でられる様は、まさしくタイトル曲通りの輝く“太陽の塔”そのものを思わせる神々しさだけが存在している。
ヴォーカル入りの2曲目はジャーマン・シンフォニック独特のリリカルな趣を湛えたラティーマーばりの繊細で美しい静と動の両面を兼ね備えたギターワークが聴きもので、ギターに呼応するかの様に森の木霊を思わせるソリーナに眩い煌きを放つシンセの音色が実に良い効果を生み出しており、四季折々に咲き乱れる花々のイマージュを色鮮やかに描写している。
エモーショナルな曲想の3曲目はゲストプレイヤーのフルートとソリーナに導かれて、ヴィーナスの感情の起伏をも想起させる様な目まぐるしい雰囲気と変拍子を効果的に活かした、アナログLP盤A面のラストを飾るに相応しい秀作と言えよう。
本作品中最大の呼び物といっても異論の無い4曲目24分強の大作は、アナログLP盤のB面全てを丸ごと費やした3部構成の組曲形式となっており、厳粛な深き森の調べ…流麗なる大河の波濤…怒涛の如き戦乱の嵐…冥府への光る城門といったイマジネーションが渾然一体となった、それこそ過去の名作級でもあるイエスの「危機」、ジェネシスの「サパーズ・レディ」、フォーカスの「ハンバーガー・コンチェルト」、或いはエニワンズ・ドーターの「アドニス」にも迫る勢いの一大シンフォニック絵巻となって、聴く者の耳と脳裏に深い感動と興奮の余韻を残す事だろう…。
私論で恐縮であるが、この大曲を聴かずしてアメノフィスの存在を軽んじて今まで無視を決め込んでいたのであれば、それはプログレ人生にとって余りにも膨大な時間の喪失でもあり、当然の如くジャーマン・シンフォニックの真髄は語れないであろう…。

余談ながらも日本に初めてアメノフィスが紹介された当初、あのオランダのコーダと並ぶ…否!コーダをも越えたなどという意見もチラホラ聞かれたが、まぁ…コーダを越えた云々は聴く人それぞれの御判断にお任せするにせよ、コーダと並ぶ作品に位置付けられるのも然りだが、個人的にはフランスのアジア・ミノールに一番近い線を感じてならないのが正直なところと言えよう。
なお、YouTubeでも御拝聴の通り本作品の1992年CDリイシュー化に際し、デヴュー当時お蔵入りとなっていた未発表5曲がボーナストラックとして収録されており、こちらも諸般の事情とはいえ埋もれさせるにはあまりに惜しい素晴らしい出来栄えである事を付け加えさせて頂く。
念願のデヴュー作で、ある程度の知名度を得た彼等ではあるが、時代が悪かったせいなのか予想に反して思った以上にアルバムの売れ行きは伸び悩み、結局機材等を売却せざる得ない状況に追い込まれ、加えてアルバム製作とライヴ活動等の精神的疲弊が重なり、長年苦楽を共にしてきた弟のStefanがバンドを抜けてしまった事を機に、アメノフィスはあえなく解散という最悪の結果を招いてしまう。
が、アルバムの完成度の高さを評価したインディーズの関連筋からのオファーで、残されたMichaelとWolfgangの両名は心機一転して新たなドラマーと選任キーボーダー、そして女性Voを迎えた5人編成で再結成し、4年後の1987年に『You & I』をリリースするものの、ロマンティックで幻想的な印象を湛えた意匠に相反して、デヴュー時の高貴で荘厳な作風から随分とかけ離れた、プログレッシヴな感触と名残こそあるものの時流の波に乗ったポップ感覚満載な売れ線狙いのただのロックに成り下がってしまい、この事が仇となり悲しいかなデヴュー時以上にさっぱりと売れず(日本でもある程度の枚数が入荷したが、全くと言っていいくらいに売れず、しまいには話題にすらも上らなくなった)、結局2度目の挑戦も敢え無く失敗に終わりバンドは再び解散してしまう。
MichaelとWolfgangもほとほと音楽活動に限界と疲労を痛感し、以後は音楽業界からきれいさっぱり足を洗って、音楽とは距離を置いた職種に就くと共に、暫くはプログレッシヴとはおおよそ無縁な生活を送る事となる。
…が、運命とはつくづくどこでどう転ぶか分からないもので、21世紀に入るや否や事態は思いも寄らぬ急展開を迎え、ムゼアからリイシューされたデヴュー作がプログレ史に残る名盤として世界的に認知されると、作品の評判を風の便りに聞き世界各国の大勢のプログレファンからのラブコールを受けたMichael自身、2010年再び一念発起でオリジナルメンバーだったWolfgang Volmuth、そして『You & I』期のキーボーダーKurt Poppeを呼び寄せ、新たな3代目ドラマーとしてKarsten Schubertを加えた4人編成でアメノフィスは再々結成の運びとなる。


過去の迷いを全て断ち切り、機材とテクノロジーの向上に加えて、熟練者ならではの深い人間味と経験が活かされた、今年2014年…実に27年振りの新作『Time』は砂時計が描かれた意匠の如く“時”がテーマという実に意味深なタイトルを引っ提げて、アメノフィスが再び世に一石を投じる実に挑戦的な意欲作へと仕上がっている。
時代のアップ・トゥ・デイト感に裏打ちされた21世紀スタイルのジャーマン・シンフォへと自己進化・成長を遂げた彼等は聴衆に問いかけるであろう。
「夢を捨ててはいけない。夢を諦めてはいけない。夢を見ること、夢の様な音楽を創る事を決して忘れてはいけない…。」
人生の深みと円熟味を増した彼等の紡ぎ出す音楽に耳を傾けつつ、これから先もまだまだアメノフィスと共にプログレッシヴの理想郷を目指して探訪の歩みを踏みしめていかねばなるまい。
アメノフィスの面々、そして私自身の終わりの無い旅路はこれからまだまだ続くであろう…。
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