夢幻の楽師達 -Chapter 34-
3月最後の「夢幻の楽師達」を飾るのは、イタリアン・ロック界きっての超個性派集団にして、かのレジェンドクラスな大御所アレアにも匹敵するであろう、ジャズロック、アヴァンギャルド、そしてカンタベリーサウンドをも内包し、唯一無比なる音楽世界を築き上げながら今もなお根強いファンや支持を得ており、同じグロッグレーベル出身のチェレステやコルテ・ディ・ミラコリとは趣やら音楽世界観が異なりながらも燻し銀の如き孤高なる輝きと風格を放ち続けている“ピッキオ・ダル・ポッツォ”に、今再び栄光と名誉ある輝かしい光明を当ててみたいと思います。
PICCHIO DAL POZZO
(ITALY 1972~?)


Aldo De Scalzi:Key, Per, Alto Sax, G, Vo
Paolo Griguolo:G, Per, Recorder, Vo
Giorgio Karaghiosoff : Woodwinds, Flute, Per, Vo
Andrea Beccari:B, Horn, Per, Vo
今を遡る事39年前…1981年11月、ある冬空の下の晩秋の日の事。
地元の高校2年生の時分、あの当時は今と大いに違って自身の周りでプログレッシヴ・ロックといったら大概はフロイドないしクリムゾン、イエス、EL&P、そしてジェネシス…許容範囲を広げてムーディーズ、キャメル、ルネッサンスといった有名どころがもてはやされ、VDGGやらキャラヴァン、GGなんて凡そ余程の通好みでないと話題にすら上らなかったのが常であって、何とも勿体無いというか寂しい様な…もどかしい様な…悲しい様なそんな有様だった(苦笑)。
ユーロピアン含め諸外国勢にあっても門戸を開放した先導的役割を担ったPFMやフォーカス、タンジェリン、後にはタイ・フォンやセバスチャン・ハーディー、カンサス…etc、etcが時折話題に上ったり、NHKのFMでオンエアされるのが関の山であって、何度もこのブログにて言及してきたが…ことイタリアン・ロックに限定した話ともなると、キングレコードがたかみひろし氏先導と企画による「ユーロピアン・ロックコレクション」という鶴のひと声が無ければ、ある意味(良くも悪くも)正真正銘ドが付く位のマニアックなコレクターだけしか知り得ないディープなジャンルのまま埋もれてしまう寸前だったのは明白であって、キング洋楽セクションのスタッフ尽力の甲斐あって、ユーロピアン・ロックはこうして名実共に門戸が開放され市民権を得る事が出来たと言っても異論を挟む者は皆無であろう。
かく言う私自身ですらも1981年当時の若い時分、ミュージックライフの告知欄で既にユーロピアン・ロックコレクションを知り得ていたと言いつつも、いかんせんユーロロックの右も左も皆目見当が付かないまだまだ若僧の青二才だったが故、海の物とも山の物とも要領を得ない…さながら中古品・骨董品専門店の店先で飾られている高尚で手が出せないお宝を羨望の眼差しで見つめるかの如く、まあ…大関善行、十代という多感なる時期と自身のユーロロック夜明け前を躊躇し戸惑いつつ右往左往しながら及び腰のまま、なかなかその一歩を踏み出せないもどかしさに悩み迷っていたのだから、実に初々しくも可愛げのある経緯であったと、今でも赤面する事しきりである(苦笑)。
及び腰のままなかなかユーロコレへと踏み出せず、もどかしさとも焦燥感とも付かない苛立ちを抱えながらいたずらに時間が過ぎ去っていくさ中、とある晩秋の日に馴染みのレコード店の店主から手渡されたキングレコード発行の告知チラシを目にした瞬間、頭の中にまたしても多くの?????なる疑問符が湧き上がって来たから困りものである。
「キングユーロロック・コレクション快挙!遂にマグマとグロッグレーベルの発売権を獲得!!」
そのチラシの一文を見ただけで、まだユーロロックのフィールドへ完全に足を踏み入れていない時分、何の事やらさっぱり理解出来ず頭の中はちんぷんかんぷんだったのは言うに及ばず。
そのチラシの一文を見ただけで、まだユーロロックのフィールドへ完全に足を踏み入れていない時分、何の事やらさっぱり理解出来ず頭の中はちんぷんかんぷんだったのは言うに及ばず。
さながら若葉マークの付いたユーロロック一歩手前な当時の私自身、それでもミュージックライフで一時期特集が組まれた"ユーロロック紀行 フランス編"で覚えていたマグマが一瞬頭に思い浮かぶものの(爆)、それは全くの見当違いでイタリアン・ロック史に於ける最重要級のマイナーレーベルの事
だと知ったのは帰宅してベッドに寝そべりながら数分後の事だった。
数日経って期末試験休みに自宅で寛ぎながらNHKFMの「軽音楽をあなたに」(懐かしい…)を耳にすると、偶然とは不思議で恐ろしいもので…チラシで告知されていたマグマとグロッグレーベルを中心としたイタリアン・ロックの特集が組まれた形で、ニュー・トロルスの“コンチェルト・グロッ
ソⅡ”を始め、メディテラネア、ラッテ・エ・ミエーレ“パヴァーヌ”、そしてかのグロッグレーベルからはチェレステと今回本篇の主人公ピッキオ・ダル・ポッツォがオンエアされており、ある意味PFMに出会って以来の本場のイタリア語によるイタリアン・ロックとの邂逅を果たした記念すべき一瞬だったのを今でも鮮明に記憶している。
トロルスやラッテミ、チェレステで荘厳なるイタリアン・ロックの調べに深い感動と興奮を覚えつつも、肝心要のピッキオ・ダル・ポッツォに至っては、あの若かりし当時耳にした第一印象としては“難解!”という言葉が真っ先に思い立ち、あたかも催眠術にも似た呪文の如きリフレインされるアコギとパーカッションに加え奇妙なコーラスによる“Merta”が自身の耳を通じて思いっきり脳裏に焼き付いてしまったのだから、またまた困りものである(苦笑)。
2曲目の“Cocomelastico”に至っては、あたかもジャケットに描かれている小人の兵隊(一団)がじわじわと攻め寄せて来るような…不安定ながらも不思議な浮遊感に包まれたオルガンとブラスセクションとのせめぎ合い、酒場というかバルでのはしゃぎ声やら、コップの水でうがいするといった様
々なSEがコラージュされた何ともアヴァンギャルドで掴み処の無い摩訶不思議な強い印象を受けた、これが正真正銘若い時分のピッキオ・ダル・ポッツォ初体験だった…という、冒頭の書き出しから延々長い思い出話みたいになってしまった事、どうか御容赦願いたい。
ピッキオ・ダル・ポッツォの歩みはイタリア最大の港湾都市ジェノヴァで1972年結成まで遡る。
ちなみにバンドネーミングの意は“井戸からキツツキ”を表すもので、何とも人を喰ったというか茶目っ気たっぷりとでもいうのか(微笑)。
70年代初頭ニュー・トロルスで既に中心人物的ポジションで頭角を表していたVittorio De Scalziを兄に持つ実弟Aldo De Scalzi自身、兄Vittorioのロック&ポップス、クラシカル嗜好とは真逆に、「兄貴、俺こっちの路線でいくわ…」と言ったかどうかは定かではないにしろ、フランク・ザッパ始めソフト・マシーン、ハットフィールズ&ザ・ノース…etc、etcのアヴァンギャルドとカンタベリー系ミュージックに傾倒し、イタリアらしいアイデンティティーとユーモアを加味してピッキオ・ダル・ポッツォ結成へと至る。
前後してニュー・トロルス分裂劇で憂き目を見たVittorio De Scalziが設立したStudio Gを拠点とし前出にも触れたマグマとグロッグの両レーベルが発足されのを機に、弟Aldo率いるピッキオ・ダル・ポッツォにも白羽の矢が当てられ、1976年グロッグレーベル第3弾目リリース作品としてその鮮烈な
るデヴューを飾る事となる。
基本的にドラムレスの4人でキャリアをスタートさせ、メンバー各々が多種多様マルチに楽器を持ち替えて演奏する辺りは幾分GGを意識しているふしが感じられるものの、彼等4人を支えるべくVittorio De Scalzi始め、同じグロッグレーベルのチェレステからもCiro PerrinoやLeonardo Lagorioが参加、結果的に総勢10名からなるゲストサポート陣の助力と好演も見逃してはなるまい。
クラフトペーパー(方眼紙)にあたかも子供の落書きを彷彿させる様な、何ともヨーロッパらしい童話風なロマンティックさとメルヘンティックが同居した、小人の兵隊というか一団が街中に攻め寄せてくるといった幾分ブラックユーモアさえ想起させるアートワークのイメージと寸分違わぬ、まさしくピッキオ・ダル・ポッツォの音楽世界観を如実且つ雄弁に物語っていると言っても異論はあるまい。
オープニングの“Merta”をブリッジに“Cocomelastico”という連作さながらな展開の巧みさも然る事ながら、収録曲中10分超の組曲形式の長尺“Seppia”の動と静、押しと引きのバランスが怒涛の如く絶妙なる展開はピッキオならではの面目躍如といったところであろう。
小人の一団よろしくおもちゃ箱をひっくり返したかの様なカンタベリーサウンドで当時のイタリアのロックシーンに一石を投じて注目を集めた彼等は、その後数回のライヴやギグをこなし若干名のメンバーチェンジを経て、次回作の為のレコーディングに備えリハを兼ねたデモ音源を製作するものの、惜しむらくは経営難から端を発した
Studio Gの閉鎖やら何やらすったもんだの挙句、結局次回作の為のデモ音源はお蔵入りするという憂き目に遭ってしまう。
それでもバンドサイドは臆する事無く、次回作を一旦白紙に戻した形で新たなる構想を基に地道に活動を継続し、アレアの故デメトリオ・ストラトスとのセッションを含めたライヴ活動で糊口をしのぎつつ新作リリースする機会を狙っていた。
その地道なる活動の甲斐あってかデヴュー作から4年後の1980年、当時ストーミィー・シックスといったRIO系アヴァンギャルドを多く擁していたL'Orchestra(ロルケストラ)レーベルを通じて実質上の2ndアルバム『Abbiamo Tutti I Suoi Problemi』をリリースする。

日本盤タイトル通りに解釈すれば「人それぞれに人生の問題を抱えているものさ」といった具合だが、なるほど2nd本作リリースまでに至る紆余曲折を自虐を交えてアピールした彼等なりのシニカルな毒舌と言っても差し支えはあるまい。
前作がおもちゃ箱をひっくり返したカンタベリー風であれば、やはりロルケストラというレーベルが持っている作風と路線を踏まえた性質上、2ndはさながら様々な廃品やら鉄材を溶接したジャンクアートで、前作のリリシズムやらユーモラスを留めつつも狂騒とアヴァンギャルドさは更に際立っていると言っても過言ではあるまい。
前デヴュー作でのアートワークに負けず劣らず、2ndの意匠も彼等なりのユーモア感が滲み出ておりこれはこれでピッキオの新たなる側面を開拓した傑作と言えるだろう。

2ndの本作品にてAldo De Scalziを筆頭にPaolo Griguolo、Andrea Beccariの3人に加え、次回作のデモ音源製作から参加しているドラマー兼パーカッショニストのAldo Di Marco、そしてサックスとフルートのRoberto Romani (彼は2ndのアートワークも担当)の両名を正式メンバーに迎え、エンジニアのRoberto Bolognaも6人目のメンバーとしてクレジットされている。
本作品の内容と評判も上々で、これで漸くバンド自体も軌道に乗って次なる展望が見通せるであろうと誰しもが予想していたにも拘らず、理由や原因こそ不明であるが2ndリリース後突如として活動を停止しピッキオ名義としての全てのマテリアルや活動を放棄、80年代突入と同時にイタリアン・ロックシーンの表舞台から姿を消す事となる。
Aldoを含むピッキオのメンバーその後の動向にあっては、カンタベリー系やアヴァンギャルドから距離を置いた形で他ジャンルでのセッションないしポピュラーミュージック畑で裏方として音楽活動を継続。
80年代から90年代…そして時代はいつしか21世紀に突入し、70年代後期に低迷・停滞期という暗黒時代を迎えていたイタリアン・ロックも王道復古と復調をすっかり取り戻して、多くのニューカマーやかつての70年代黄金期で活躍していた(PFM、バンコ、ニュー・トロルス、オルメを除いて)多くのベテラン勢も復活再結成を遂げ、それに同調するかの如くピッキオ・ダル・ポッツォも復活の兆しを見せ始め、そんなAldo達メンバーの気持ちを察していたのか新興レーベルCUNEIFORMから前出で触れた1977年に録音の2nd準備用デモ音源が2001年『Camere Zimmer Rooms』という新たなタイトルで復刻され、更には2004年正式な再結成復帰作として『Pic_nic@Valdapozzo』という実に24年ぶりの新譜をリリース。

本作品はAldo De Scalzi始めPaolo Griguolo、そしてかつてのドラマーAldo Di Marco(何ともカラフルで摩訶不思議なアートワークも彼の手によるもの)のメンツに加え、サックス奏者にClaudio Lugoを迎えた4人編成の布陣で臨み、生前ピッキオとのジョイントで収録されていたアレアのデメトリオ・ストラトスのヴォーカルパートのテープが発見され、デジタルリマスタリングで収録された事も嬉しい吉報となった。
もはや二度と聴かれる事は無いであろう筈のデメトリオのヴォイスがまた再び巡ってこようとは…リスナーは感涙で目頭を熱くした事であろう。
時代相応に沿った形ながらもジャズィーでアヴァンギャルドな21世紀スタイルのピッキオワールドを構築した彼等ではあったが、その後またしても暫しの沈黙を守り続ける事となるのが何とも実に惜しまれる…。
今となっては単発的なのか気まぐれなのかは知る由も無いが、数年に一度ライヴ限定で復活してはかつての名曲を再演しては拍手喝采を浴びており、2008年11月にイタリアで開催された「AltrOck Festival 2008」で収録されたライヴマテリアルが2年後の2010年に初のライヴ盤『A Live』としてリリースされ、更にはスペシャルゲストとしてテナーサックス奏者にかつてのメンバーGiorgio KaraghiosoffとRoberto Romaniを迎えた2011年1月のライヴが収録されたDVD(2013年リリース)までもが流布しているといった具合で今日までに至っている。
2004年のスタジオ作品を最後に、ピッキオ・ダル・ポッツォとして正規の新作は未だアナウンスメントされていない状況で、一部では活動終了やら単なるバンド休止といった無責任な情報やら悪戯な憶測が横行しており、実質上は開店休業に近い状態といった方が正しいのだろうか。
唯一、2016年川崎クラブチッタでのラッテ・エ・ミエーレ来日公演で同行したVittorio De ScalziとAldo De Scalzi兄弟のステージでの雄姿を拝見した際に、ピッキオの名曲“Merta”を生で聴けたのが幸いだったと今でも鮮明に記憶している。
2004年のピッキオ復活劇から早15年経つものの、バンドの再起動はもはやAldoの鶴のひと声よろしくないしAldoのみぞ知るといったところであろうか(苦笑)。
夢物語みたいな締め括り方で恐縮至極であるが、いつの日かピッキオ・ダル・ポッツォ名義での来日公演を強く切望していると共に、再びまた小人の兵隊達がグルグルと頭の中を駆け巡る様な…良い意味でドキドキとワクワク感が堪能出来る、そんな新作が聴ける事を願って止まない今日この頃である。
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