夢幻の楽師達 -Chapter 35-
『幻想神秘音楽館』4月新年度に突入すると共に、今月最初の栄えある「夢幻の楽師達」は今もなお80年代に於けるシンフォニック・ロック復活の口火を切ったと言っても過言では無い、名実共にフレンチ・リリシズムのパイオニアでもありエポック・メイキング的象徴でもある名匠“アジア・ミノール”に改めて焦点を当ててみたいと思います。
そして…毎週「夢幻の楽師達」と「一生逸品」でお送りする週2回ペースの連載で始まった『幻想神秘音楽館』のセルフリメイク&リニューアルも、今月でいよいよ折り返し地点となった事を機に、今までの週一で同じ国籍同士連載していたスタイルから一旦離れて、今月と来月の2ヶ月間「夢幻の楽師達」と「一生逸品」を毎週違う国籍同士の競合によるシャッフル企画と銘打ってお届けいたします。
今秋の完全リニューアル再開という目標に向けて『幻想神秘音楽館』も、コロナウイルス災禍にめげず前向きに躍進して参りますので何卒宜しくお願い申し上げます。
ASIA MINOR
(FRANCE 1975~)


Setrak Bakirel:Vo, G, B
Lionel Beltrami:Ds, Per
Eril Tekeli:G, Flute
Robert Kempler:Key, B
70年代末期を境に世界的なプログレッシヴ・ムーヴメントは一時的な沈滞・衰退期に入り、1980年前後にあってはイエス、フロイドといった極一部の有名どころを除き、ますますアンダーグラウンドな位置へと追いやられてしまった感が強い。
イギリス始めイタリア、アメリカ然り、御多分に漏れずフランスとて例外ではなかった。マグマは別格として…大御所のアンジュに、アトール、ピュルサー、モナ・リザ、ワパスーといった70年代の代表格の殆どが、時代相応に合わせた音作りを余儀なくされ、試行錯誤に低迷期、活動停止に陥ったのはよもや説明不要であろう…。
“ロック・テアトル”が最大のウリでもあり謳い文句にしていたフレンチ・プログレッシヴは、ムゼア発足までの暫く7~8年間は本当にアンダーグラウンドな範疇にて厳しい冬の時代を迎えていたのが正直なところである。
そんな状況下において、自主制作ながらもアラクノイとテルパンドル始め、ウリュド、ステップ・アヘッド、シノプシス、オパール、ウルタンベール、ファルスタッフ、ラ・ロッサ…等、活動期間は短命ながらも高水準な逸材・名盤が多数輩出し、僅かながらもフレンチ・シンフォは生き長らえる事が出来たのである。
その当時のシーンに於いて、フランス国内外で一歩抜きん出た存在として絶大的な支持を得ていたのが、今回の主人公アジア・ミノールである。
我が国で初めて紹介された当初は“アジア・マイナー”なる名称で呼称されていたものの、徐々にバンドの実態、バイオグラフィー等が解明されていくのと波長を合わせるかの如く、名前の呼び方もフランス綴りに従ってミノールと呼ぶようになったとか…真偽のほどは定かではないが!?
バンドのルーツを遡ると、二人のトルコ人でもあるSetrak Bakirel(1953年、イスタンブール生まれのアルメニア系)とEril Tekeliの両名が、1973年に建築関係と音楽の勉強の為に渡仏した事からスタートする。
二人ともハイスクール時代から、ジェスロ・タル始めシカゴ、マハビシュヌオーケストラ等を愛聴し勉学と同様に音楽活動でも意気投合した旧知の仲でもある。
そして程無くして渡仏以降に後のドラマーとなるLionel Beltramiと合流し、75年アジア・ミノールは産声を上げる事となる。

79年のデヴュー作『Crossing The Line』のリリースに至るまでの長い期間、彼等3人は仕事と学業に追われつつも、所有している機材の脆弱さの悩みこそあれど、精一杯ライヴ活動をこなしながら演奏から曲作りの面で力を付けていき、徐々にバンドとしての頭角を現していく。
こうして…バンドはサポート・キーボードを迎えて録音に臨み、自主盤デヴュー作を初回1000枚でプレスし、プロモートに400枚配布しライヴ会場でも300枚近く売り上げて、口コミ・人伝を経由してますます評価を高めていった次第である。

デヴューアルバムの成功と実績を得た彼等は、翌年正式に4人目のメンバーとして、Robert Kemplerをキーボード奏者に迎え入れ、あの名作・名盤にして80年代の傑作の一枚『Between Flesh And Divine』をリリースする。
前作での反省を踏まえて当初は500枚プレスしたものの、イギリス始めカナダのプログレッシヴ専門店並びプレス関係からの熱心な後押しで初回は瞬く間に完売という快挙を成し遂げ、暫くの間はプレスしてもプレスしても売り切れるといった状態が続き文字通りのベストセラーになったと同時に、文字通り80年代のプログレッシヴ・シーン復活の起爆剤的役割として、幸先の良い契機となったことは一目瞭然である。
余談ながらも…我が国のキングのユーロ・コレクションのリリース予定候補の中にも彼らの1stと2ndがリストアップされていた事も特筆すべき点である(それ故に彼等が当時において、頭ひとつ抜きん出た逸材であった事が証明出来よう…!) 。
彼等の作品の魅力をズバリひと言で言い表せば…フレンチ・ロック特有の憂いと哀愁を纏いつつも、力強い演奏の中にミスティックで且つ抒情味たっぷりな旋律が堪能出来るというところであろうか。
勿論、70年代の数ある大御所バンドからの影響をかすかに感じさせながらも、敢えて“何々風に似ている”といったカラーを出さなかったのも強み・身上とも言えよう。
バンド自体もこのまま上がり調子で行くのかと思いきや、理由は定かではないが様々な諸事情でアジア・ミノールは結成から7年…国内外の多くのファンから惜しまれつつその活動に幕を下ろした。
バンド解散後、リーダーのSetrakはフランス国籍を取得し、トルコ映画『Le Mur』のサントラ製作に携わる。
Erilは母国トルコに帰郷し音楽活動をも止めてしまい、ドラムスのLionelは幾つかのハードロックバンドやポップス系へと渡り歩き現在までに至っている。
キーボーダーのRobertは後にIBMの正社員に就いたとのこと。
Setrak自身今でもフランス国内にて創作活動を継続しており、実は…88~89年頃にムゼアからの提案と後押しでアジア・ミノールを一度再編しようと思い立ったこともあるとの事で、メンバーもSetrak、Lionel、Robertの3人に女性ベーシストを加えた4人編成で再スタートの青写真が出来つつあったものの、結局あと一歩のところで、IBM社員だったRobertが長期海外出張やら何やらの理由でポシャってしまい、以後Robertに代わるキーボーダーが見付からなかったことやら諸般の事情で、残念ながら再編計画が御破算になってしまった経緯である。
アジア・ミノールが世に現れ出てから早30年余。今となっては“名作”として遺された2枚の作品は、幸運な事にプラケース仕様のリマスターCD、そして紙ジャケット仕様のSHM-CDで(良い意味で)簡単且つお手軽に入手可能で耳にする事が出来る。
まだ未聴の方も然る事ながら、今までフレンチ・シンフォニックは苦手で敬遠(まあ…フランス語の独特のイントネーションとか一種クセのある音色等で今一つ好きになれないリスナーの方々が未だにいるみたいなので)されていた方々も、もしこのブログを御覧になって興味を持たれたら、どうか是非とも好みの差異は問わずに心をまっさらにして接して頂きたいと願わんばかりである。
そこには決して名作・名盤という形容詞のみだけではない、ユーロ・ロックの持つ伝統的な美意識と浪漫、そして束の間の夢が思う存分堪能出来る筈であろうから…。

幸運というか運命の巡り会わせとでも言うのだろうか…私自身の話で恐縮だが、昨今当のアジア・ミノールのリーダーでもあるSetrak BakirelとFacebookを経由して親交を持つ事となり、かねてから噂になっていたアジア・ミノール完全復活作のリリースに向けて、Setrakを中心に21世紀の今もなお精力的且つコンスタンスに創作活動並びライヴ、レコーディングを着々と進めているとのこと。
おそらく今年か来年にはファン待望のアジア・ミノール復活作が満を持してリリースされる事となるであろう。
アジア・ミノール、否!Setrak御自らが我々の前で謳い奏でる神憑りにも似た眩惑の音世界、21世紀の今…期待を胸にしかと受けて立とうではないか。
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