夢幻の楽師達 -Chapter 38-
4月最終週の「夢幻の楽師達」は、北欧デンマークより60年代末期から70年代初頭にかけてブリティッシュ・ロック影響下ながらも、その特異で唯一無比な音楽性で神々しい光明を放ち続け、21世紀の現在もなお根強いファンと支持者を獲得している、名実共にスカンジナビアン・ロック黎明期の草分け的存在としてその名を刻み付ける“エイク”に、今一度スポットライトを当ててみたいと思います。
ACHE
(DENMARK 1968~)


Torsten Olafsson:B, Vo
Finn Olafsson:G, Vo
Peter Mellin:Organ, Piano, Vo
Glenn Fischer:Ds, Per
西欧ドイツの隣国でもあり、海峡を挟んでスウェーデン、フィンランド、ノルウェーの北欧三大国に準ずる小国デンマーク。
デンマークのロックシーンと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、今やすっかり国民的バンドとして定着し世界的にもその名が認知されているサベージ・ローズであろうか。
ロジャー・ディーンが手掛けたイラストでお馴染みのミッドナイト・サンを始め、ジャズロックで名声を馳せたシークレット・オイスター、通好みであればサメのジャケットが印象的なザ・オールドマン&ザ・シーも忘れ難いだろう。
さながら70年代デンマークのロックシーンは、かつてのスイスのシーンよろしく負けず劣らず少数精鋭揃いといった感が無きにしも非ずといったところであろうか…。
遡る事60年代末期、全世界規模で席巻していたビートルズ人気の熱気と興奮は御多聞にも漏れずデンマークにも飛び火していたのは言うには及ぶまい。
その波及は首都コペンハーゲンを拠点に音楽活動をしていた2人の若者FinnとTorstenのOlafsson兄弟にも多大なる影響を与え、ロックンロールやブルース等をベースとしつつ新たなる時代へと向けた音楽表現への契機となった。
Olafsson兄弟を中心としたVOCESを始め、後にエイクのメンバーとなるPeter MellinとGlenn Fischerを擁していたTHE HARLOWSをルーツにバンドメンバーが集散を繰り返し、Torstenが加入したTHE HARLOWSそしてFinnが参加していたMCKENZIE SETの2バンドを母体に1968年エイクは結成される事となる。
1968年は折しもイギリスに於いてレッド・ツェッペリン始めディープ・パープル、そしてイエスがデヴューを飾った年でもあるのが何とも実に興味深い…。
音楽活動を始めてから早3年という実績も然る事ながら、エイクは異例の早さでフィリップス・デンマークと契約を交わし、国内のロック・フェスへの参加を始めテレビやラジオでの電波媒体にも積極的に出演し知名度を上げていく一方、彼等のヘヴィで独創的、時にシンフォニックな荘厳さを纏ったアートロックの音楽性に着目した地元の前衛舞踊団THE ROYAL THEATRE OF COPENHAGEN並びTHE ROYAL DANISH BALLET COMPANYの招聘と相互協力により、概ね一年半もの製作期間とリハーサルを費やして1970年にデヴュー作となる『De Homine Urbano』をリリースする。

英訳すると“Urban Man”の意となるが、その意味深なデヴュータイトル通り男女2人によるバレエダンサーのフォトグラフがコラージュされたジャケットアートは、当時主流だったドラッグ体験的なサイケデリックという向きよりも幾分趣が異なる、所謂…音楽、光と影、舞踊とが渾然一体となった総合芸術の域に留めている辺りが彼等の目指す方向性でもあり自らの身上とでも解釈すべきではなかろうか…。
古色蒼然とした所謂時代の音ではあるが、重厚でクラシカルなハモンドとヘヴィでブルーズィーな雰囲気を湛えたギターを核に、おおよそサイケデリックとは縁遠いアートロックとプログレッシヴの中間を行き交う、欧州の伝統とロマンティシズムに裏打ちされた彼等でしか成し得ない音楽だけがそこにはあった。
ロックミュージックと前衛バレエとのコラボレイションは、かのピンク・フロイドも当時『原子心母』でも試みていただけに、エイクもそういった時代の波に触発されて良い意味で上手く相乗効果に乗る事が出来た稀有のバンドとして実に幸先の良いスタートを切ったと言えるだろう。
デヴュー作『De Homine Urbano』の評判は上々で、すぐさま次回作への構想が持ち上がった彼等は2nd製作の準備に先駆けて初のシングル『Shadow Of A Gipsy』(2ndのB面にも収録されている)をリリース。
ヨーロッパの哀愁と抒情を湛えた歌物系作品ではあるが、プロコル・ハルムばりのクラシカル・オルガンロックの真骨頂ここにありと言わんばかりな泣きのリリシズムがせめぎ合う秀作と言えるだろう。
翌1971年、前作での成功の流れを汲んだ前衛舞踊劇向けに製作された姉妹作にして彼等の代表作となる『Green Man』をリリース(ちなみに下の写真がその『Green Man』を題材にした舞踊劇の一場面である)。

アメリカSFスリラーTVの草分けともいえる『トワイライトゾーン』に登場しそうな異星人風なテーマを思わせる、不気味でミスティックな雰囲気と寸分違わぬヘヴィ・オルガンシンフォニックが縦横無尽に繰り広げられており、イギリスのアードバークやインディアン・サマーに負けず劣らずな徹頭徹尾作品全体を埋め尽くしたPeter Mellinのオルガンプレイには目を瞠る思いですらある。
ここまで順風満帆且つ精力的に活動をこなしてきた彼等ではあるが、成功への階段を上りつつあるさ中の翌1972年…突如としてロックバンドとしてのエイクを休止して、Olafsson兄弟を中心としたアコースティック・ユニットへと移行。
メンバー間同士の精神面での疲弊が生じたのか、或いは舞踊団込みの劇バンであるというレッテルを貼られてしまいそうな危惧を恐れたのか、理由を知る術は定かでは無いが兎にも角にもロックというスタイルから一時的に離れた彼等は以降4年間は作品らしい作品をリリースする事無く、ただひたすら沈黙を守り続けて表舞台から遠ざかってしまう…。
そして1976年、Peter MellinとFinn Olafssonを中心にStig Kreutzfeldt(Vo, Per)、Johnnie Gellett(Vo, Ac‐G)、Steen Toft Andersen(B)、Gert Smedegaard(Ds)の4人の新メンバーを迎えた6人編成で、エイクはデヴュー当初の荘厳で硬派なアートロック+舞踊劇バンドといったイメージから一転し、(良い意味で)時代相応にアップ・トゥ・デイトされたロックバンドとして純粋なるヨーロピアン・フレイバーに根付いたクラシカル&プログレッシヴ・ポップスという新機軸を打ち出した通算第3作目に当たる『Pictures From Cyclus 7』を大手CBSよりリリースし再出発を切る事となる。

ケストレル、カヤック或いは1st~2ndのタイ・フォンにも相通ずるシンフォニックでメロディアス、リリカルなポップス路線へと回帰した、あたかもこれが本来演りたかった音楽であると言わんばかりな人懐っこくて親近感溢れるサウンドへの変化に聴衆は驚きを隠せなかった…。
エイクは本作品で良くも悪くも全くの別バンドとして捉えられる様になってしまい、デヴュー時の重厚で厳ついイメージを期待していた向きには正直余り受けが良くなかったのもまた然りで、彼等の新たな船出は前途多難といった方が正しいのかもしれない(苦笑)。
とは言っても決して出来の悪い作品では無く、今の時代ならおしゃれに洗練されたメロディック・ロックさながらに聴けてしまう歌物プログレッシヴとして最上位に位置する秀作だと思えてならない(やはり時代と運が悪かったのだろうか…)。
未聴の方はデヴュー時のイメージを一旦置いて、どうか気持ちを新たに頭の中を真っ白にしてお聴き頂き、今一度彼等の斬新なサウンドアプローチを見つめ直して欲しい事を切に願わんばかりである。
そして翌1977年、Stig KreutzfeldtとJohnnie Gellettの2人のヴォーカリストが抜けてバンドは再びメンバーチェンジを迎え、何とTorsten Olafssonが再びベーシストとして合流し、Steen Toft Andersenが二人目のキーボーダーとして転向しバンドは更なるツインキーボードスタイルで、前作でのポップでキャッチーなサウンドアプローチにややプログレハードがかったエッセンスを加味した4枚目の好作品『Blå Som Altid』をKMFなるローカルレーベルよりリリースする。

作品内容は実に素晴らしいものの、肝心要のジャケットが何とも貧相で地味な装丁だったのが災いしたのか、それほど話題に上る事無くセールス的にも伸び悩んだが、当時全世界規模を席巻していたパンク/ニューウェイヴの波にもめげる事無く、彼等は1980年まで我が道を進むかの如く自らのスタイルを貫き通し(その間に長年の盟友だったPeter Mellinが抜けPer Wiumへと交代)、以後エイク名義のシングル一枚とカセットテープオンリーの『Stærk Tobak』と『Passiv Rygning』の2作品をリリースし、Finn Olafssonのソロ活動(彼はエイク解散後も数枚のソロ作品をリリース)と併行させながらも、惜しまれつつバンドは自然消滅への道を辿っていく事となる(私的な意見で誠に恐縮だが、『Blå Som Altid』は確かにジャケットのお粗末ぶりこそ否めないものの、それでも内容としては従来のエイク・サウンドが楽しめる充実した内容であるが故に、本作品が未だCD化されてないのが何とも惜しまれる…)。
そして時代は1985年、Olafsson兄弟を中心にPer Wium、そして新たな面子にAlex Nyborg Madsen (Vo)とKlaus Thrane (Ds)を迎え、エイクは突如として8年振りにリバイバル・ライヴをデンマーク国内にて敢行。
バンドの復帰を待ち望んでいた多くの聴衆から盛大な喝采を浴び、熱気と興奮に包まれながらもたった一度きりしかないであろう彼等の復活祭にデンマークのロックファンは湧きに湧き上がった。
そして21世紀の現在…年輪を積み重ねた彼等は、2003年Olafsson兄弟を中心に発足したプロジェクト・チーム兼サウンド・コミュニティー“CHRISTIANIA(1976年にCBSよりリリースされたOlafsson兄弟によるデュオ作品タイトルから引用された)”の許で、エイク名義の作品の著作権管理やらライヴ活動、後進の育成・指導、デンマークの音楽業界の屋台骨的な役割を担い現在までに至っている。
CHRISTIANIAの許に集うは…ギターとプロデューサーも兼ねるFinn Olafsson、そしてベースのTorsten Olafsson、更にはかつての盟友Peter Mellinを筆頭に、Per Wium、Gert Smedegaard、Steen Toft Andersen、そしてJohnnie Gellettといったエイクの歴史をしかと刻んできた名うての面子に加え、新たな女性メンバー二人も創作活動に大きく携わっている。

デンマーク・ロックの祖として長きに亘り、今もなおこうして現役バリバリで精力的に活躍している彼等の逞しくも力強い真摯な姿勢を垣間見た…そんな思いに捉われると共に、理屈と感動をも越えた男のロマンティシズムに触れた私自身あたかも勇気付けられる思いにも似た「我々はまだ夢の途中…」と言わんばかりな、彼等の生粋なロックスピリッツに否応無しに共鳴してしまう今日この頃である。
CHRISTIANIA…或いはエイク名義の最新作が、いつの日にか我々の目の前に突如送り届けられるのもそう遠くは無い様な気がする。
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