幻想神秘音楽館

プログレッシヴ&ユーロ・ロックという名の夢幻の迷宮世界へようこそ…。暫し時を忘れ現実世界から離れて幻想と抒情の響宴をお楽しみ下さい。

一生逸品 KYRIE ELEISON

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 風薫る初夏の雰囲気真っ只中、今月最初の「一生逸品」は、先般取り挙げたクロックベルク・オランジェと並ぶオーストリア出身の名匠に恥じない、ジェネシス・チルドレンの申し子或いはジェネシスフォロワーの代名詞にして、まさしく決定版ともいえる伝説的存在としてその名を高めている“キリエ・エレイソン”に、今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。


KYRIE ELEISON
 /The Fountain Beyond The Sunrise(1977)
  1.Out Of Dimension
  2.The Fountain Beyond The Sunrise
   a)Reign
   b)Voices
   c)The Last Reign
   d)Autumn Song
  3.Forgotten Words
  4.Lenny
  
  Gerald Krampl:Key, Vo
  Karl Novotny:Ds, Per, Vo
  Michael Schubert:Vo, Per
  Manfred Drapela:G, Vo
  Norbert Morin:B, Ac-G

 昨今の21世紀プログレッシヴ・ムーヴメント…その源流を遡るとメロディック・シンフォ或いは80年代のポンプ・ロックをも内包し経由しているとはいえ、やはりその大元でもあり根底とは言うまでも無くフロイド始めクリムゾン、イエス、EL&P、そしてジェネシスといったブリティッシュ・プログレッシヴの大御所、所謂“ブリティッシュ5大バンド”であると言っても異論あるまい。
 それら5大バンドを核(コア)に根幹を伸ばし枝分かれしつつプログレッシヴ・ムーヴメントは細分化を辿り、各国のアイデンティティーとトラディッショナルとを巧みに融合させつつ、その国々相応にマッチした作風を確立しリスペクトとフォロワーという形で継承・踏襲を積み重ね、今日に至るまでプログレッシヴ・ロックは伝統を絶やさず生き続けていったと思えてならない…。
 今や世界各国に輩出された多種多様にして多彩な顔ぶれとも言えるであろう、プログレッシヴの代名詞と言っても過言ではないジェネシス影響下のフォロワーバンドとて例外ではあるまい。
 初期並び中期ジェネシスが持っていたロマンティシズム、リリシズム、中世寓話趣味…等といった様々な要素を独自に解釈・咀嚼し、自らの音楽性と作風に反映させたイングランド、アイヴォリー、ノイシュヴァンシュタイン、デイス、バビロンといった70年代~80年代にかけての単発系ジェネシス・チルドレン達。
 今回の本編の主人公キリエ・エレイソンも御多聞に漏れず、ゲイヴリエル在籍時のジェネシスから洗礼を受けつつも、プログレ停滞期に差し掛かっていた悪夢の前兆とも言うべき70年代後期に於いて、出来の良し悪しを抜きに自主製作というスタンスを保持し自らの音楽世界を構築していった孤高の存在と言えるだろう。

 キリエ・エレイソン(「主よ、憐れみたまえ」という意)は、オーストリアの首都“音楽の都”ウィーン出身でクラシック音楽の教育を受けたキーボーダーGerald Kramplを中心に彼の学友でもあったバンドの初代ドラマーKarl NovotnyとFelix Rausch(G)の3人によって1974年に結成され、前後してWolfgang Wessely(Vo)とGerhard Frank(B)を迎えて活動を開始。
 地道にリハを積み重ね、曲作りから地元でのギグをこなしつつ、翌1975年にはMichael Schubert(Vo)、Manfred Drapela(G)、Norbert Morin(B)にメンバーが交代し、キリエ・エレイソンはこうして正式なラインナップが集う事となる。
 各メンバー個々が嗜好する音楽性もジェネシスのみならず、VDGGからコロシアム、アモン・デュール、果ては同国のイーラ・クレイグ、オパスと多岐に亘り、大昔マーキー誌にて初めて彼等の作品が紹介された当初は“『怪奇骨董音楽箱』や『フォックストロット』期のジェネシスを彷彿させる作風ながらも、いかんせん自主製作に有りがちな詰めの甘さに加えて音が割れている”と、散々な言われようではあったが、今にして思えば…ただの単なるジェネシスの模倣・物真似的サウンドに陥る事無く、敢えて類似性を避けた点でも逆にプラスの方向に作用したと思えるのだが如何なものだろうか。
 1976年に入ると彼等はシアトリカルなプログレッシヴをコンセプトテーマに、様々な人伝を頼りにデヴューアルバムの製作に奔走するが、自主盤デヴューで既に実績を持っていたイーラ・クレイグがフィリップスからメジャー再デヴューを飾ろうとして以外は、殆どの大手レコード会社は時代の空気に呼応した商業主義に移行…方針・方向転換を図っていた当時、誰しもが見向きする事なんぞ当然望むべくも無く、以前当ブログでも取り挙げたクロックベルク・オランゲが自費で製作した自主盤さながらのマスターテープをウィーンのCBS支社へ持ち込んで漸くプレスに漕ぎ着けたという事を、彼等自身も間接的に耳にしていた事を踏まえれば、大手メジャーへの不信感を募らせると共に、泣く泣く辛酸を舐める覚悟で製作に臨み、否応も無しに自主流通という手段に踏み切った事も頷けよう。
 失礼ながらも…21世紀の現在ならたとえどんなプロはだしのアマチュアバンドやセミプロ・ポジションのバンドでも、最新デジタルの録音器材でいとも簡単にレコーディングし自らがプロ顔負けにミキシング編集出来るから、そんなひと昔前ふた昔前の自主リリースの苦労なんて浦島太郎の如き遠い昔話の様な隔世の感を抱いてしまうのは、我ながら綴っている自分自身ですらもそれだけ歳を取ってしまったという事だろうか(苦笑)。

 ヨーロッパ大陸ならではの神がかったバンドネーミングも然る事ながら、アーサー王伝説に登場する魔術師マーリンの名を冠したセルフレーベルMERLINを発足し、ハミルの『Fool's Mate』を想起させる意匠にしてロジャー・ディーンとポール・ホワイトヘッドを足して2で割った様な摩訶不思議な魔法と神秘の世界を描いた、もう如何にもといった感のプログレッシヴ・ファン好みのアートワークに包まれた、待望のデヴューアルバム『The Fountain Beyond The Sunrise』は、幾多もの苦難を乗り越えた末1977年の年明け1月早々にリリースされた。
          
 冒頭1曲目の畳み掛けるように小気味良いギターのイントロに導かれメロトロンとリズム隊の哀愁を帯びたメロディーライン、そして極端なまでにゲイヴリエルを強く意識したヴォイスが絡み、最初こそ淡々と地味めな印象の曲調ながらも、徐々に聴き手をもグイグイ引き込んでいく説得力溢れる展開は彼等ならではの妙味すら抱かせる。
 アルバムタイトルでもある組曲形式の大作2曲目は、物悲しさ漂うメロトロンチェロ(実際Gerald自身が弾いているチェロかもしれないが…)と乾いた音色のアコギに導かれ、徐々にバンクスさながらなオルガン始めキーボード群が奏でる圧倒的な音の洪水が最大の聴き処で、アルバム全曲中のメインとも言うべき好ナンバーに仕上がっており、Michael Schubertのゲイヴリエル愛に満ちた語りとも歌とも付かないヴォイス・パフォーマンスも面目躍如よろしくとばかりに冴えまくっている。
           
 吹き荒れる夜の嵐のSEと寂寥感に彩られたピアノが切々と奏でられMichaelの悲哀の歌唱が印象的な3曲目も聴けば聴き込むほど陰影と深みを増していき、本家の“ファース・オブ・フィフス”とまでにはいかないにせよ、それに迫るかの様な泣きのリリシズムが際立っている佳曲と言えるだろう。
 4曲目の大曲ラストナンバーも前出の大作2曲目に負けず劣らずなサウンド・スカルプチュアを構築・展開しており、まさしくラストナンバーに相応しい…演劇的に喩えるなら大団円とエンディングさながらの全編ジェネシス愛に満たされた本家へのリスペクトに終始応える様な頑なな姿勢とこだわりが何とも微笑ましい。

 録音の質は今一つというマイナス面こそ否めないものの、自主リリースデヴューに甘んじながらも国内外で高い評価を得た彼等は、それを自信に励みとし次回作への準備を推し進めるが、ここで長年苦楽を共にしてきたオリジナルメンバーだったドラマーのKarlが脱退、更にはギタリストのManfredもバンドを去ることとなり、翌1978年に新たなドラマーOtto SingerとギタリストのGerhard Ederを迎えて活動を継続。
 国内で数回ギグをこなしつつ2ndアルバムに向けた新曲作りに勤しんでいたが、結局ヴォーカリストMichael自身様々な諸事情でバンド活動を辞めざるを得なくなり、それを機にバンドは活動休止を余儀なくされ結果的にキリエ・エレイソンは表舞台から遠ざかり、あえ無く解散の道を辿る事となる。
 その後キーボーダーのGeraldはもう既に御存知の通り1982年キリエ・エレイソンの流れを汲むINDIGOを結成し、再びプログレッシヴ・フィールドに返り咲き90年代半ばまで活動を継続するものの、2000年以降からは愛妻と共に設立発足したニューエイジ・スピリチュアルのプロジェクトAGNUS DEIで複数に及ぶCDをリリースし、以後クラシック、シリアスミュージックに原点回帰すると共に、ネオクラシカル・アンビエント、エレクトロニック室内音楽を作曲しつつコンポーザーとして国内外で高い評価を得て現在に至っている。
 ちなみにGerald以外の他のメンバーのその後の動向にあっては、残念ながらネット社会という今日でありながらも現時点で全く分からずじまいで消息すらも掴めなかったのが何とも悔やまれる…。

 余談ではあるが…現在、キリエ・エレイソン並びINDIGO、そしてGerald Krampl名義の作品は、1984年以降に発足した、Gerald自身のセルフレーベルINDIGOMUSICによって流布されており、加えて2004年にはイスラエルのMIOなるレーベルから24ビットデジタルリマスターが施された1000枚限定BOX仕様(当時のステージ/メンバー写真、歌詞、ジャケット、バイオ・グラフィー/INDIGO時代を含めたディスコグラフィー、ファミリー・トゥリー、Gerald Kramplによる回想録を掲載した詳細なブックレットが添付された豪華仕様)で『The Complete Recordings(1974 - 1978) 』がリリースされるも、現在は既に完売し入手困難となっている。

 キリエ・エレイソン、クロックベルク・オランジェ…そしてオーストリアの代表格でもあったイーラ・クレイグがプログレッシヴ・シーンの表舞台を去り、以後オーストリアは巨匠とも言えるガンダルフのみが孤軍奮闘し、次世代を担うニューフェイス、ニューカマーの登場が待たれて幾久しくなるものの、近年漸くイーラ・クレイグ影響下のブランク・マニュスクリプト、そして昨今注目株の若手ホープでもあるマインドスピークといった新たな次世代の登場に、21世紀のオーストリアのプログレッシヴ・シーンは再び活気を取り戻しつつあるみたいだ。
 心無い一部の輩からは“ただの一発屋”だとか“下手ウマB級プログレ”なんぞと誹謗中傷され、何とも不遇にして不遜な扱われ方見方をされてきたキリエ・エレイソンではあるが、そんな戯言やら陰口悪口に臆する事も怯む事も無く、今もなお名盤・名作として賞賛を得ているのは、きっと古き良き時代にあった温かみのある”手作り感覚あってこそのプログレッシヴ”という名残を大事に留めているからではなかろうか。
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Zen

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