夢幻の楽師達 -Chapter 40-
今週の「夢幻の楽師達」はポーランドの大御所にして唯一無比、ハンガリーのオメガと共に東欧プログレッシヴ黎明期の草分け的存在にして、共産主義という政治体制と闘いつつも自由たるものを求道し孤高の道程を辿った、プログレッシヴの鉄人“SBB(エス・ベー・ベー)”を取り挙げてみたいと思います。
SBB
(POLAND 1969~)


Józef Skrzek : Vo, Key, Syn, B
Apostolis Anthimos : G
Jerzy Piotrowski : Ds, Per
1969年、共産主義真っ只中の首都ワルシャワにて、Józef Skrzek、Jerzy Piotrowski、そしてギリシャ人の血筋を持つApostolis Anthimosの3人の若者達の出会いがSBB誕生の契機となった。
70年代東欧のプログレッシヴ・シーンにおいて、ハンガリーのオメガと並んでその一時代を築いたSBB。彼等の歩みこそ波乱に富んだポーランドの歴史と地続きだったと言っても異論はあるまい。
結成当初のバンド名の意、SBB=シレジアン・ブルース・バンドだったことから、当時のポーランド国内において西側諸国の退廃の象徴とも取られた“ロック”という言葉、代名詞の全てが制圧且つ弾圧されていた事も考慮して、極端な話…西側の情報が入って来る事もままならない状況下、彼等3人はブルースとジャズを演るグループとして自らを偽りつつも苦汁と辛酸を舐めさせられた次第である。
無論、彼等とて結成当初からブルースなんぞ演るつもりは毛頭無かったのは今更言うまでもあるまい。
結成してから2~3年近くは、一介のブルース・バンドとして、本来自らが目指す音楽への自問自答、試行錯誤を繰り返しつつもブルースという枠から逃れられない事への苛立ち・焦燥感に苦悩する反面、バンドの方向性への確立、模索・追求に費やされた。
幾数多のポーランド国内のシンガー系アーティスト、ジャズ・ミュージシャンとの共演、バック・バンドとしての活動に追われつつも、彼等にとって決定的な分岐点となったのは、ポーランド国内の絶対的存在にして東欧のボブ・ディランことCzesław Niemen(04年没)との劇的な出会いが運命を大きく変えたのは言うまでもあるまい。

彼等3人は2年間Niemenの専属バックとしてツアーにレコーディングに多忙を極め更なる時間を費やす事となるが、73年にNiemen自身からの助言で独立。
翌74年にワルシャワにて念願の単独ライヴを収録した『SBB』でデヴューを飾る次第である(後年、母国ポーランドのMetal Mindなるレーベルから、デジパック仕様で再発されるが、通常リリース盤ともう一つ、完全にライヴを収録した2枚組CDによるスペシャル盤が現時点で確認されている)。
そして同時に彼等SBBはシレジアン・ブルース・バンドという意から…SEARCH(探求)、BREAK(破壊)、BUILT(構築)という3つの言葉を結合させた意へと変貌を遂げたのである。



ただ悲しいかな…記念すべきデヴュー作もジャズ、ブルース、エレクトロニクスといった様々な音楽要素を詰め込み過ぎて統一感に欠けるといった嫌いがあるのも事実だった。
翌年、初のスタジオ収録作となる2nd『Nowy Horyzont』にて、前作の無駄な部分を削ぎ落とし更なる進歩の跡を見せ、続く3rd『Pamięć』で漸く独自のSBBサウンドの礎たるものを確立させ、ポーランド国内外でも確固たる地位を築く事に成功する。
そして翌77年に妖精物語をモチーフにした彼等の初期の傑作『Ze Słowem Biegnę Do Ciebie』をリリース以降は文字通り彼等の黄金時代の到来である。
翌78年には旧チェコスロバキアのみリリースされた5th『SBB』にて改めて初心表明の如き原点に立ち返ったアプローチを試み、同年旧西ドイツに渡りインターコードよりワールドワイド向けに6th『Follow My Dream』と立て続けにリリースする次第である。


が、実質的なワールドワイド成功の王手を決めたのは、続く79年同じくインターコードよりリリースされた『Welcome』であるのは最早言うまでもあるまい。若干ダークな雰囲気で一見した限り引いてしまいそうな装丁ではあるが、SBB70年代の総決算にして頂点とも言える最高傑作と言っても差し支えあるまい。

ここまでの作品に至るまで、終始一貫してSkrzekの力強くもどこか幽玄的で儚い哀愁感漂うシンフォニックなキーボード・ワークに、Anthimosの刻むどこかしら異国情緒とエキゾチック感溢れるギター、Piotrowskiの堅実且つ的確なテクニックに裏打ちされたドラミングといった、強固で絶対的にして絶妙なバランスのトライアングルで歩み続けて来た彼等のスタイルは、同じトリオ編成のEL&P、トリアンヴィラート、オルメ、SFF、ラッシュ…等とはまたひと味ふた味も違ったロック・ミュージックの醍醐味とダイナミズムをも堪能させてくれた事は紛れもない事実である。
しかし…80年代に入ると、SBBにも大きな変革の波が押し寄せて来る。Anthimosに次ぐ新たなギタリストSławomir Piwowar加えた4人編成で臨んだ久々の母国ポーランドでの録音となった8作目『Memento Z Banalnym Tryptykiem』は80年代を迎えた最初の作品で、意欲作且つ傑作にして渾身の一枚ながらも、事実上彼等の信頼関係にある種の破綻をきたした最終作となった次第である。

それと前後して中心人物のSkrzek自身のソロ『Pamiętnik Karoliny』(1979)と『Ojciec Chrzestny Dominika』(1980)が国内外にてセールス好調であった事も一因していた。
こうして『Memento~』にて自分達の演りたい事は全て出し尽くした感を悟った彼等はバンドの解体を決意。



Skrzekはその後国内にてソロ活動と併行して映画や舞台の音楽製作に携わる傍ら、ポーランド国内のアーティストとのコラボ、後進アーティストの育成と指導に尽力を注いでいた。
Anthimosはポーランドとアメリカを股にかけECM系のアーティスト並び、パット・メセニー・グループとの共演で独自のソロ活動に移行。
PiotrowskiはSBB解散後、SBBとは全く畑違いなポップ系のバンドを渡り歩き商業ベースな路線へと活路を見出したとの事。
そして…ポーランド国家自体も永きに渡る共産・社会主義時代が崩壊し終焉を迎え、民主主義の道へと再び歩み始めると同時に、プログレッシヴ・シーンもコラージュの一派(サテライト、ビリーヴ…等)を始めとする、リザード、クィダム…etc、etcといった新世代のメロディック系シンフォが続々と台頭し活況著しい昨今となった事はよもや説明不要であろう…。
90年代に入ってからは、SBBの過去のライヴ含むアーカイヴ音源が続々と発見され、Skrzek監修の許で雨後のタケノコの如く続々とCD化が進められつつも、一方でSkrzekの脳裏にSBB再編という青写真も出来つつあった。
それに呼応するかの様に、ギタリストのAnthimosが再びSkrzekと合流し、新たなドラマーにパット・メセニー・バンドと併行するPaul Werticoを迎えて、22年振りの2002年大手のポーランドEMIに移籍して、再結成第一弾『Nastroje』を発表し21世紀版SBBサウンドを確立させ、更に3年後の2005年『New Century』をリリースし益々脂の乗った円熟味と大ベテランの域の滋味たるものを感じさせ、その健在ぶりをアピール知らしめ、ヨーロッパとアメリカにてツアーを敢行し大盛況のもと成功を収めている。
しかし…これだけ恵まれた製作環境が整ったにも拘らず、ポーランドEMIからリリースされた新たなアプローチを試みた筈の新路線が思っていた以上の評価が得られず、流石にこれにはSkrzekとAnthimos、並び長年の多くのファンの間では“ダイナミズムに欠けるきらいがある”といった不満が鬱積し、それ以後EMIとの契約も切れ加えて新ドラマーのPaulが抜けてしまった事がバンド休止に更なる拍車を掛け、SBBは再び2年近く沈黙を守る事となる。
相も変わらず蔵出しのライヴ・アーカイヴ音源に至っては立て続けに好セールスを上げるものの、肝心要のバンド本隊は停滞気味といった感で、正直もはやこれまでか?といった憶測も流れるといった始末である。
が、そんな暗中模索と自問自答の如き停滞は、新たなドラマーであるGabor Nemethを迎え、2年後の2007年に新興のMetal Mindからリリースされたバンドの原点回帰を彷彿とさせる、ヘヴィ&シンフォニックに立ち返った『The Rock』で新たな光明を見い出す事となる。

(ジャケットから察するに、岩=Rockとロックを掛け合わせた…まさしく我々はロックバンドである!という初心表明の表れと思っても差し支えはあるまい)
以降09年の『Iron Curtain 』、『Blue Trance』(2010)、『SBB』(2012)、そして2014年にオリジナルドラマーのJerzy Piotrowskiが再び合流してからは『Za Linią Horyzontu』(2016)、『FOS』そして『Sekunda』(両作品とも2019年リリース)という破竹の勢いで意欲的な作品を立て続けにリリースし、特筆すべきは3人のオリジナルメンバーが集結して以降は、作風並びアートワーク総じてあたかも原点回帰を思わせるスタイルに立ち返った姿勢は(失礼ながらも)老いても尚創作意欲の衰えを感じさせない確固たる信念と情熱でポーランドのシーンをリードしている生き様と健在ぶりに、私自身心から拍手を送りたい次第である。



結成・デヴュー、一時的な解散…そして再編を通して実に40年以上ものキャリアを誇るSBBではあるが、70年代のあの政治体制に拮抗するかの如く熱く燃えていた彼等ではあるが、あの当時が音楽を通した闘いであったならば、現在の彼等は精神性こそ不変ではあるが、セールス云々を抜きに心の底から音楽を楽しみ創造しようという…良い意味でベテランのロックおじさん的な、自由・平和を勝ち取った者でしか味わえない、余生への楽しみというのは少々穿った言い方であろうか…。
あとは…少なからずも私自身、否!他の大勢のSBBファンにとって彼らの来日公演を是非共切望したい限りである(そうでしょ!?クラブチッタさん)。
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