一生逸品 QUILL
今週お送りする「一生逸品」は、アメリカン・プログレッシヴの隠れた至宝として、かのカテドラルやイエツダ・ウルファと共に隠れた名作・名盤として誉れも高い、深遠なる抒情と荘厳なる幻想を謳い奏でる北米大陸随一のロマンティシズムの申し子“クィル”を取り挙げてみたいと思います。
QUILL/Sursum Corda(1977)
1.First Movement
i)Floating/ii)Interlude/iii)The March Of Dreams/iv)The March Of Kings/
v)Storming The Mountain/vi)Princess Of The Mountain/
vii)Storming The Mountain-Part II
2.Second Movement
i)The Call/ii)Timedrift/iii)Earthsplit/iv)The Black Wizard/v)Counterspell/
vi)The White Wizard/vii)The Hunt/viii)Rising/ix)The Spell/
x)Sumnation/xi)Finale


Jim Sides:Vo,Ds, Per
Ken Deloria:Key
Keith Christian:B, Ac-G
21世紀の今日…イギリス含むヨーロッパ諸国と肩を並べる位のプログレッシヴ・ロック大国となった感のある北米大陸アメリカ。
今なら躊躇したり迷う事無く声を大にして言える文節ではあるが、これがもうひと昔ふた昔前の前世紀ならユーロ・ロック偏重主義めいた熱狂的信者達(所謂マニアックでコアなファン)から確実に“何を血迷った馬鹿な事を!”と袋叩きに遭っているかバッシングの雨嵐に晒されていた事だろう(苦笑)。
それこそ何度もこの本ブログで言及してきたので恐縮だが「アメ公なんぞにプログレなんか出来っこない!」と、あたかも差別主義丸出しの如く偏った認識と誤解で、アメリカン・プログレッシヴ(当時でいうアメリカン・ニューウェイヴ)が貶められていた…否!二番煎じみたいな過小評価をされていたと言った方が正しいだろうか。
そんな受難めいた時代も今となっては遥か遠い昔の思い出話の様に一笑に伏されるのだから不思議なものである。
前置きが長くなったが、カナダを含む北米大陸のプログレッシヴ・ムーヴメントは、1975年を境に大メジャーな商業系流通ルートに乗じて一躍時代の寵児になった感のカンサスやらボストンを皮切りに、スティックス果てはHR系のファンから支持を得ていたラッシュに準じて、大きな知名度を得ながらも自国のレーベルから地道に作品をリリースしていたイーソス、パヴロフズ・ドッグ、ハッピー・ザ・マン、スターキャッスル、ディキシー・ドレッグス、カナダからはモールス・コード、マネイジュ、サーガといった、本家ブリティッシュ並びヨーロピアンの洗礼を受けながらも北米大陸という自国のアイデンティティーとイマジネーションが融合・昇華した独自のスタイルと礎が漸く結実した、文字通りアメリカン・プログレ真の出発点だったと言えないだろうか…。
そんな1975年から1978年までのアメリカン・プログレ隆盛期のさ中、アンダーグラウンドな規範で自主リリースせざるを得なかったイエツダ・ウルファ始め、バビロン、カテドラル、ペントウォーター、イースター・アイランドといった単発組と同期的存在だった本編の主人公クィルは、1975年カリフォルニアでドラマー兼ヴォーカリストのJim Sides、キーボーダーのKen Deloria、ベーシストのKeith Christianの3人によって結成された。
プログレッシヴ・ロックの定番ともいえるキーボード・トリオスタイルの彼等が創作する音楽世界には、彼等が生まれ育ったホームタウンとも言うべき…太陽が燦々と降り注ぐ陽気なイメージがすっかり定着した感のカリフォルニアという街には(良い意味で)余りにも似つかわしくない、当時の商業路線やら売れ線音楽とは一切無縁な、EL&P始めジェネシス、イエス…といったブリティッシュの先人達から受けた多大なる影響を物語るかの様に、ユーロピアンナイズに裏打ちされたロマンティシズムとトールキンの『指輪物語』にも相通ずるファンタジック・ノベルをも彷彿とさせる壮大にして幻想的、抒情、耽美、リリシズムといったプログレには必要不可欠な要素が完全揃い踏みの、頑ななユーロ・ロック偏愛な愛好家の方々にも有無をも言わせぬ位に納得出来るだけのインパクトを与えるであろうと言っても過言ではあるまい。
作風そのもの自体もEL&P系のフォロワーというよりも、やはりゲイヴリエル在籍時の初期ジェネシスから強い影響を感じさせ、キーボーダーのKenのスタイルは御大のキース・エマーソン影響下というよりも、むしろリック・ウェイクマンやトニー・バンクス辺りのセンスに近く、オルガンプレ
イひとつ取ってもキースの様な熱血ゴリ押し力技的な体育会系では無く、音楽世界の繊細な物語を紡ぐ文学系でアカデミックなトニー・バンクスの奏法をも彷彿させる。
歌うドラマーという点では大半はフィル・コリンズを連想されるかもしれないが、歌唱法においてはやや線は細いがやはりゲイヴリエルを意識したところが散見出来て同国のバビロンに近いシンパシーを覚えつつも、敢えてシアトリカルな要素を極力抑えた辺りに同じジェネシス影響下バンドながらも差別化を図っているところが面白い。
余談ながらも彼等の作風と路線は後々に登場する同国のノース・スターに受け継がれていくという事も付け加えておかねばなるまい。
地元カリフォルニアを拠点にロッククラブやライヴ・スポットでの地道な演奏活動が実を結び、彼等3人は76年末から77年初頭にかけて、現時点での唯一作『Sursum Corda』(Lift Up Your Heartという意)をレコーディングするが、まあ…この当時のプログレッシヴを巡る業界のよくある話、本来リリースする予定だった配給元の様々な諸事情で結局とどのつまりがテストプレス1枚のみ製作されただけでマスターテープは長年お蔵入りになるという憂き目に遭ってしまう。
旧アナログLP時代のA面とB面を偲ばせるかの様に、“First Movement”と“Second Movement”といったそれぞれ組曲形式の全2曲という大作主義を貫いている辺りに、ブリティッシュとヨーロッパのプログレッシヴが持つ浪漫と美意識に少しでも近付きたいという並々ならぬ意欲すら感じ取れるのが何とも意地らしい。
リリシズム溢れる端整で瑞々しいピアノの調べに導かれ英雄物語を思わせる幻想絵巻は幕を開け、イエスの“ラウンドアバウト”を思わせるイントロの2曲目では最早アメリカンな要素は殆ど皆無なジェネシス+エニドをも彷彿とさせるシンフォニックな怒涛の波に、聴く者の脳裏はいつしかハリウッ
ドのファンタジームービーさながらのイマジネーションに魅入られている事だろう。

『Sursum Corda』がお蔵入りになったという憂き目に遭っても、彼等は決してめげる事無く精力的にライヴサーキットをこなし、78年初頭に続く2作目の予定作として『The Demise Of The Third Kings Empire』をレコーディングし、時代の波の移行と共に商業路線のヒットポップスやらディスコミュージックばかりがもてはやされる厳しい時代に於いて、年に20回以上ものライヴを懸命にこなしていくものの…バンドは80年代という新しい時代を迎える事無く79年の秋に活動の限界を迎え、未発の2作品のマスターテープを残しつつ泣く泣くバンド活動の無期限停止を余儀なくされるのであった。
その後、JimとKenは大手オーディオ・メーカーのアポジィとして、Keithは楽器ショップ勤務という各々がそれぞれの仕事に就きつつひたすら地道に各個別の創作活動を続けていくものの、まさしくバンド時代の頃とは比べ物にならない位の地味で目立たない活動に移行し、恐らく彼等3人とも表面では平静を装ってはいたものの内面では相当なフラストレーションが蓄積していたのではなかろうか。
時代は再び移り変わり…80年代後期を境にアメリカのプログレッシヴ・ムーヴメントは大きな転換期を迎えつつあった。自主リリースよるニューカマーの台頭及び、プログレッシヴ専門のレーベルSyn-Phonicの発足でイエツダ・ウルファやカテドラルといった稀少なレアアイテム級の名作再発を皮切りに、アメリカン・プログレ再興の波はそのまま一挙に怒涛の如く90年代へと雪崩れ込み、アメリカのみならず世界各国のプログレッシヴ・ファンにとって大きな力強い礎へと躍進して行ったのは言うには及ぶまい。
その同時期にクィルのドラマー兼シンガーでもあったJimの結婚で、KenとKeithが再び祝いの席にてめでたく再会となり、彼等のテストプレス止まりの唯一作だった『Sursum Corda』も、めでたくSyn-PhonicレーベルからCD化再発が決定し、この二重の喜ばしい出来事を契機に3人は再びバンド再結成へと動き出す。
ちなみに再発CDリリースに先駆けて初回特典は限定500枚プレスの見開きLP盤サイズの紙ジャケットにブックレット付きというプログレ・ファンなら泣いて喜ぶ大盤振る舞いと言えよう。
そして、かねてからSyn-Phonicサイドからの要請で1993年5月にUCLAのRoyce Hallで開催されるプログレッシヴ・フェスへの出演依頼を快諾し、カラバンはじめナウ、ジャム・カレット、シタデル、エコリンといった当時の新進気鋭達との競演を果たし、聴衆からの大喝采を背に受けて見事に復活劇を果たす事となる。
…と、ここまでが私自身把握しているクィルの全容といったところである。
本来であれば、この後彼等は同1993年秋頃にお蔵入りになっていた2nd『The Demise Of The Third Kings Empire』を再レコーディングするという予定まで組まれていた筈なのだが、21世紀に入った現在…20年以上経っても未だ新作リリースのアナウンスメントすら聞かれない今日この頃である(苦笑)。

彼等と同様に作品が発表されないまま表舞台から消えていったハンズも、90年代半ばの再発リリースを機に再結成し現在でも精力的に活動し、右に倣えとばかりにイエツダ・ウルファやペントウォーターといった70年代の単発組までもがこぞって再結成~活動再開を遂げ、あの悪夢の様な当時苦汁と辛酸を舐めさせられたアメリカのかつてのベテラン勢の躍進には兎にも角にも目を見張るものがある…。
今この北米大陸で起こっている沈黙の如き静かで大きなプログレ再興の波に乗じて、再びクィルが幻想物語を語る日が来る事をただひたすら信じて待ち続けたいところだが、それこそ何度も言及している通りまさしく“神のみぞ知る”といったところだろうか…。
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